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ユダヤ問題特集

プリントアウトして読みたい。
ユダヤ問題特集
 
第1章
はじめに
(最初に読んでね)

第2章
世界史のタブーである
東洋系ユダヤ人と白人系ユダヤ人のルーツ
96/7/01投稿
第3章
世界史最大の謎の1つ
失われたイスラエル10支族の謎とは?
96/7/01投稿
第4章
イエス登場を境に大分裂してしまった
イスラエル2支族
96/7/02投稿
第5章
世界の嫌われ者になった
ユダヤ人の苦難
96/7/02投稿
第6章
ユダヤ人の世界的解放と
ユダヤ民族主義(シオン主義)の台頭
96/7/02投稿
第7章
現在も続くジオニストたちの
反セム主義活動
96/7/06投稿
第8章
栄華を極める世界最大最強の
ロスチャイルド財閥
96/7/11投稿
第9章
イスラエル共和国建国の背後にひそむ
十字軍の亡霊
96/8/12投稿
第10章
ユダヤ教徒の世紀末メシア待望運動と
失われた10支族探し
96/7/01投稿


<ユダヤ問題特集 第1章>
はじめに
(最初に読んでね)

 「ユダヤ問題」という言葉を耳にして、皆さんは何を真っ先にイメージするでしょうか? 「ゴルゴタの丘」でしょうか? 「ヴェニスの商人」でしょうか? 「アウシュビッツ」でしょうか? 「パレスチナ紛争」でしょうか?

 いずれにせよ、多くの方が「ユダヤ問題」を口にすることも考えることも忌み嫌っているような気がします。ユダヤ問題は、あたかも触れるとヤケドするかのような様相を帯びているかのように受け止められているようです。そのため、ユダヤ問題を考えるとき、議論が当たり触りのない常識論派と、極端な感情論派(陰謀主義者)に二極化される傾向にあるといえます。

 常にニュースに流れる中東問題は、ユダヤ問題の根幹を探っていかないと、正しく理解できないと思います。単なる民族争いだと思ってしまっては、賢明な解決策を打ち出せないでしょう。ユダヤ問題の根幹にはユダヤ教があり、『旧約聖書』があり、そこには強烈な「シオン主義」があり、同時に「歴史的大誤解」が存在しています。

 「ユダヤ」というものの存在が、宗教的にも政治的にも大きな影響力を世界に与え続けているということは、否定できない事実だと思いますが、私は、ちまたで騒がれている「ユダヤの世界支配」という言葉に少なからずの違和感(嫌悪感)を感じています。と言うのは、ユダヤの内部を探れば探るほど、想像以上に「分裂」していることに気付かされるためです。



 
 と言いながらも、正直言って私も昔は、ユダヤ問題に関する知識は皮相的・一面的で、ナチスの迫害が始まってからイスラエル共和国が「避難地」としてユダヤ難民に提供されたとか、ユダヤ人=ヨーロッパ系白色民族だとか思い込んでいた時期がありました。

 もともと私はユダヤ人が大好きだったので(『アンネの日記』は涙を誘いました)、ユダヤ人の悲劇を思うと、イスラエル共和国建国は仕方のない事だと思っており、イスラエル共和国は「ホロコーストの悲劇」の中から生まれた「希望の国」で、「宗教的信条の違い」からアラブ人たちの敵意にさらされるようになり、ユダヤ人たちは新たな苦難を受けているのだ、と思っていたのです。

 しかし、世界史&ユダヤ史を本格的に勉強し、20世紀初頭から既にパレスチナ問題が開始されていたことなどを、ジワジワと知るにつけ、自分の歴史認識(当時の国際情勢の把握)の甘さを痛感し始めたわけです。



 
 パレスチナ難民の悲劇を持ち出すと、ユダヤ人は自分たちの悲劇が「相対化」されることを極度に恐れるようですが、私はそうは思いません。歴史は「明と暗」の二面性を見ることによって、平面化(フラット化)されるのではなく、むしろ「より立体的かつ多角的な認識」を得られると思います。歴史は常に「複雑な因果関係」によって成り立っているため、考慮する側面が多ければ多いほど、奥深い歴史認識や教訓が引き出せると思います。

 特に、古今東西の「ユダヤ問題」は奇々怪々な「多重構造・多重問題」をはらんでいるため、丁寧に一つ一つをほぐしていかないと理解しにくいです。「ユダヤ」を一枚岩のような民族・勢力集団として扱っては、歴史の真相に肉薄できないと思われます。



 
 というわけで、この一連の「ユダヤ問題特集」は去年(1996年)の夏、強硬派のネタニヤフ政権がイスラエル共和国に成立したのをきっかけに、私がネットニュース(fjのwar-and-peaceとhistory)に投稿し続けたものですが、少々加筆して編集し直したため、当時の記事とは順序が入れ替わっていたり、タイトルが変わっていたりしています(もともと特集14Cまでありました)。

 当時、現在のようなデータベース(サブ資料集)が用意されていなかった上、テーマがテーマなだけに、慎重に理論展開しなくてはいけないこともあり、情報を詰め込み過ぎたフットワークの悪い、回りくどい文章形態(ストーリー展開?)になっており、少々読みづらいかと思いますが、ユダヤ問題の理解に少しでもお役に立てば幸いです。

<ユダヤ問題特集 第2章>
世界史のタブーである
東洋系ユダヤ人と白人系ユダヤ人のルーツ

●なぜか不思議なことに、「ユダヤ人」という語の定義は、学問的にも政治的にも非常にあいまいな状態に置かれている。

 このテーマを取り上げると必ず、「ユダヤ人という民族はそもそも存在しないのだ」とか「ユダヤ人は人種ではなく、ユダヤ教に改宗した者がユダヤ人になるのである」という主張が一般の研究者の間から出て来る。彼らはそれを主張してやまない。

 ユダヤ人国家イスラエル共和国においてはどうかというと、移民に関する法律「帰還法」において「ユダヤ教徒=ユダヤ人」という定義を正式に採用している。しかし、本人がユダヤ教徒でなくても、母親がユダヤ人ならばユダヤ人であるが、母親が非ユダヤ人である場合、父親がどうであろうと、本人はユダヤ人ではないという、チンプンカンプンでややこしい定義になっている。ちなみにユダヤ人が他の宗教へ改宗した場合、ユダヤ教ではその人を終生ユダヤ人とみなすという。

●いずれにせよ彼らの定義に従えば、他の民族が「ユダヤ人」になるには、ユダヤ教に改宗すればいいわけで、インド人でも黒人でもユダヤ教に改宗してユダヤ人になろうと思えばなれるというわけだ。しかし、ユダヤ教に改宗するためには聖書やヘブライ語を学ぶほか、ユダヤ教の宗教法に従って、ラビ(導師)の指導を受けながら、改宗の手続きを取っていくのだが、審査は非常に厳しいという。
 実際に、日本ではおもに結婚を理由に、男女合わせて数十名がユダヤ教に改宗しており、最近では名古屋市の牧師が、宗教的信条ゆえにユダヤ教に改宗した例もある。もっとも、ユダヤ教は伝道活動をしないので、改宗者が大幅に増えることはないという。

●ところで、ノーベル賞受賞者の3分の1以上はユダヤ人といわれているが、ハイネ、マルクス、フロイト、アインシュタイン、チャップリン、キッシンジャーなどなどといった数多くの有名ユダヤ人たちは、不思議なことにほとんど白人系である。一体どうして世の中には「白人系のユダヤ人」が数多く存在しているのか? 本当のユダヤ人は白人では決してないはずである。
 『旧約聖書』に登場するユダヤ人に白人は1人もいない。彼らは人種的に「セム系」と呼ばれ、黒髪・黒目で肌の浅黒い人々であった。モーセやダビデ、ソロモン、そしてイエスもみな非白人の黄色人種だったと記述されている。

●一般にユダヤ社会では、白人系ユダヤ人を「アシュケナジー系ユダヤ人」と呼び、東洋系ユダヤ人を「スファラディ系ユダヤ人」と呼んで区別している。

 アシュケナジーとは、ドイツの地名にもなっているように、もとはアーリア系民族の名前であった。一方、スファラディとは、もともと「スペイン」という意味だが、これは中世ヨーロッパ時代のユダヤ人たちの多くが地中海沿岸、特にイベリア半島(スペイン)にいたことに由来している。

●8世紀以前の世界には、ごくわずかな混血者を除いて、白人系ユダヤ人はほとんど存在していなかった。それがなぜか8~9世紀を境にして、突然、大量に白人系ユダヤ人が歴史の表舞台に登場したのである。いったい何が起きたのか?

●自らアシュケナジー系ユダヤ人であった有名な思想家アーサー・ケストラーは、「白人系ユダヤ人の謎」に挑戦した。彼は若い頃からユダヤ問題に関心を持ち、シオニズム運動に参加し、ロンドン・タイムズのパレスチナ特派員を経て、1957年にはイギリス王立文学会特別会員に選ばれていた。彼は白人系ユダヤ人のルーツを丹念に調べ、1977年に最後の著書として『第13支族』を著した。彼はアシュケナジー系ユダヤ人の歴史のカラクリを指して、歴史が犯したひどいジョークだと言っていたという。

 ケストラーの『第13支族』が出た当時、世界的に有名な新聞などがこの著書を絶賛してやまなかった。この本は、科学や思想が中心のケストラーの著作としては異色の書で、その内容は世界史の常識・認識を根底から揺さぶるほどの問題作であり、あまりの衝撃ゆえ、翻訳出版を控えた国も出た。1983年3月にケストラーが夫人とともに謎の自殺を遂げた時、当時の新聞の死亡記事に記載された彼の多くの著作リストの中には、この『第13支族』は省かれていた・・・。

●今日、白人系ユダヤ人のルーツは多くの研究者によって研究されており、当時の書簡や記録に基づいた綿密な学術的研究によって、以下に記すような歴史的事実が現在明らかとなっている。

 

 

●7世紀頃、コーカサスからカスピ海北岸に、総人口が100万の「ハザール汗国」という巨大王国が存在していた。住民はトルコ系白人(コーカソイド)で、商人・職人・武人として優れていたが、周囲の国とは違ってこれといった宗教を持っていなかった。

 不運なことに、キリスト教を国教とする東ローマ帝国とイスラム教を国教とするイスラム帝国は、ハザール汗国をはさむ形で、政治的にも宗教的にも対立していた。そのためハザール汗国は、次第に両国の「宗教的な干渉」を受けるようになり、どちらの宗教に改宗しても、国全体が戦火に巻き込まれるのは必至という状況に陥った。

 ふつう国が瀕死の状態になったときには、どちらか強い方の勢力を選んでしかるべきだが、ハザール汗国の王オバデアは、こともあろうに国民まとめて「ユダヤ教に改宗」させてしまったのである。

●彼らはユダヤ教に改宗しただけでなく、自分たちは「血統的にもアブラハムの子孫」であるとした。いわばユダヤの仮面をつけてしまったのである。彼らがそこまでユダヤに同化した理由は、キリスト教もイスラム教もユダヤ教を母体にした宗教だから、ユダヤ教に改宗してしまえば、両国からの宗教的干渉を回避できると計算したためであったという。

●この、8世紀末から9世紀にかけて、全国民がユダヤ教に改宗してしまうという、世界史上、例を見ないことを成し遂げてしまったハザール汗国は、なんとか持ちこたえたものの、東ローマ帝国と新たに台頭してきたモンゴル帝国の攻撃を受け、12世紀前後に滅亡してしまった。

 この時に発生した大量の難民(改宗ユダヤ教徒ハザール人)は、西へ西へと移住し、東欧に住み着いた。この東欧に住み着いた難民たちこそが「アシュケナジー系ユダヤ人」と呼ばれるようになった人々である。祖国を失ったハザール人は、この時から“ユダヤ人”として生きることとなったのである。

●国家的な「ユダヤ化政策(改宗政策)」を推し進めたハザール王オバデアから200年たったヨセフ王時代の書記は、以下のような記録を残し、ハザール人は全トルコ民族の先祖であるトガルマを通じ、ノアの長男セム(黄色人種)ではなく第3番目の息子ヤペテ(白人種)の直系子孫であることを断言している。

「・・・我々の父祖の系図から、トガルマには10人の息子があったことを知った。その子孫の名前はウィグル、デュルス、アヴァル、フン、バシリー、タルニアク、ハザール、ザゴラ、ブルガル、サビールである。我々は7番目の息子ハザールの子孫である。」

●このことに関し、イスラエルのテルアビブ大学でユダヤ史を教えていたA・N・ポリアック教授は、イスラエル共和国が建国される以前の1944年に『ハザリア』という著書を出版し、次のような見解を発表していた。

「・・・これらの事実から、ハザールのユダヤ人と他のユダヤ・コミュニティの間にあった問題、およびハザール系ユダヤ人がどの程度まで東ヨーロッパのユダヤ人居住地の核となっていたのか、という疑問について、新たに研究していく必要がある。この定住地の子孫――その地にとどまった者、あるいはアメリカやその他に移住した者、イスラエルに行った者――が、現在の世界で“ユダヤ人”と言われる人々の大部分を占めているのだ・・・」

●アシュケナジー系ユダヤ人N・M・ポロック。彼は自然科学の教科書の翻訳者であり、出版会社から頼まれて本の校正もしていた学者であった。その彼が1966年8月、イスラエル政府に抗議したことがあった。彼はその当時のイスラエル国内の60%以上、西側諸国に住むユダヤ人の90%以上は、何世紀か前にロシアのステップ草原を徘徊していたハザール人の子孫であり、血統的に本当のユダヤ人ではないと言ったのである。
 イスラエル政府の高官は、ハザールに関する彼の主張が正しいことを認めたが、後にはその重要な証言をもみ消そうと画策。ポロックは自分の主張を人々に伝えるため、その生涯の全てを費やしたという。

●このように「アシュケナジー系ユダヤ人」は、『旧約聖書』に登場するユダヤ人(セム系民族)とは「血縁的に全く関係のない民族(ヤペテ系民族)」であり、国をあげてユダヤ教に大改宗して以来、現在に至るまで“ユダヤ人”になりきってしまっているのである。

 「アシュケナジー系ユダヤ人」が非セム系民族であるとすると、現在、世界中に散らばっている“ユダヤ人”と呼ばれている人間の90%以上が、本来のヘブライ人とは全く関係のない異民族ということになってしまうが、これは恐るべき事実である。この「ニセユダヤ人問題」(ちょっと言葉が悪いが)が世界史のタブーであることがうなずけよう。

●と同時に考慮すべきことは、「白人系ユダヤ人問題」というセンセーショナルな問題を扱う場合、幾ら「ニセユダヤ人」とはいえ、彼らは長い間“ユダヤ人”として生き、オリジナル・ユダヤ人と同じ「キリスト殺し」の汚名を背負い、悲惨な迫害を受け続けて来たわけであり、同情に値するという点であろう。

●さて、白人系ユダヤ人がまだ登場していない紀元1世紀前後、古代ローマ帝国でユダヤ独立戦争があり、大敗を喫したオリジナル・ユダヤ人(東洋系ユダヤ人)たちは徹底的に追放されたわけだが、この迫害により離散したユダヤ人のうち、イベリア半島(スペイン)に移住した東洋系ユダヤ人(セム系民族)の子孫を「スファラディ系ユダヤ人」という。

 彼らは中世において世界のユダヤ人の約半数を占め、ラディノ語を話しアラブ・イスラム文化とも同化し最も活動的であった。ちなみにこの頃、既に彼らの間では「ハザール人のユダヤ教改宗」はよく知られており、有名なユダヤ人の詩人・哲学者であるユダ・ハレビは、ハザール人の改宗について「ハ・クザリ」という詩で歌っていたという。

●しかし1492年に、スペインでキリスト教への改宗を拒否したユダヤ人に対して、徹底的な追放政策がとられると、約25万人が北アフリカ、イタリア、オスマン帝国に移住。オスマン帝国はユダヤ人を喜んで受け入れたので、「コルドバ」に代わって「テサロニケ」がスファラディ系ユダヤ人の中心地となった。

●で、アラブ人は「アブラハムの次男イサクの子ヤコブの子孫(イスラエル12支族)」ではないが、「アブラハムの長男イシュマエルの子孫」である。よってオリジナル・ユダヤ人とアラブ人とは、同じ「アブラハムの血族(セム系民族)」として昔から仲が良かったのである。
 事実、20世紀初頭に第一次世界大戦が起こるまでのパレスチナでは、アラブ人とユダヤ人とは仲良く共存しあっていた(ユダヤ人は少数民族であった)。しかし、そんな彼らが現在のような血生臭い中東問題を起こしているのはなぜなのか?

●なぜユダヤ人国家イスラエル共和国は「ユダヤ人」という語の定義をあいまいなままにして、民族的混血状態を放置しているのだろうか? なぜ神に選ばれた選民として民族的純血性を保ち、『旧約聖書』に忠実に生きようとしないのか? そもそもなぜイスラエル共和国はアラブ人の土地に強引に建国され、しかもアラブ人と共存しようとしないのであろうか?
 これらの素朴な疑問を解決するには、イスラエル共和国がユダヤ人の民族的自立のために建国されたというよりも、西側諸国の中東支配戦略の一環として誕生したという、非常に人為的で特殊な歴史的背景を理解する必要があるだろう。

●この特殊な歴史的背景に関しては、あとあとで触れるが、それにしても一般に“ユダヤ人”と呼ばれている人間のほとんどがハザール人だとすると、一体全体、現在の地球には本当の選民、つまり『旧約聖書』で活躍し神に愛された「イスラエル民族」の真の末縺たちは、どのくらい生き残っているのであろうか? もしかすると、とっくのとうの昔にほとんど消滅してしまっていて、ごくわずかしか現存していないかもしれない・・・



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<ユダヤ問題特集 第3章>
世界史最大の謎の1つ
失われたイスラエル10支族の謎とは?

●前回、真の「ユダヤ人」とは、血縁的に『旧約聖書』に登場するアブラハム・イサク・ヤコブの子孫である人々のみを指し示しているということを紹介したが、「ユダヤ人」と「イスラエル民族」とをゴチャ混ぜにすることはできない。「イスラエル民族」を「ユダヤ人」としてひとくくりに総称することはできない。

 なぜならば、「イスラエル民族」とは正確には「12支族で構成された連合集団」を指しており、そのうちの1支族である「ユダ族」を中心とした末縺が後に「ユダヤ人」と呼ばれるようになったためである。「ユダヤ人」という言葉は、紀元1世紀の歴史家フラビウス・ヨセフスによる造語だと言われている。

●さて不思議なことに、ユダ族が「ユダヤ人」として活躍したのとは対照的に、ユダ族以外の選民、つまりエフライム族やガド族をはじめとする有力なイスラエル兄弟たちは、歴史上から姿を消してしまった。現在では、彼らは失われてしまったとされている。一体どういうことなのか???

 ユダヤ人以外の失われた選民とは? イスラエル12支族はどのような集団だったのか? どうして彼らの大部分は姿を消してしまったのか?

 少し長くなるが、古代ヘブライの歴史を駆け足で紹介したいと思う。

 
 

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●紀元前2000年、古代バビロニア王国が隆盛を誇っていた時代、メソポタミア地方に一つの家族が住んでいた。家族の長の名はアブラムで、彼は広大なメソポタミアの平原を羊とともに移動しながら暮らしていた。そのため地元のメソポタミアの人々は、彼らのことを「移動する人々」という意味で「ハビル人」と呼んだ。
 後に、彼らはユーフラテス川地域からパレスチナ地方、エジプトへ移動したため、「川の対岸からやって来た」という意味でハビル人→ヘブル人→ヘブライ人と呼ばれる。

●アブラムは後に神からの勅命を受け、アブラムをアブラハムに改名。彼はイシュマエルとイサクという2人の息子をもうけ、イシュマエルは「アラブ民族の父」となる。
 一方、イサクはエサウとヤコブという双子の息子をもうけ、弟のヤコブは神の勅命によって名前を「イスラエル」と変えたが、彼こそが『旧約聖書』に登場する「イスラエル民族の父」となる。

●このヤコブ(イスラエル)は4人の妻に12人の息子を生ませ、生まれた順にルベン、シメオン、レビ、ユダ、ダン、ナフタリ、ガド、アシェル、イッサカル、ゼブルン、ヨセフ、ベニヤミンと名付けた。父ヤコブの死後、それぞれ皆一族の長となり、ルベン族、シメオン族・・・という支族が誕生した。
 ただし、レビ族だけは祭睚を司る専門職であるため、通常、イスラエル12支族には数えない。レビ族だけを抜いて数える場合、11男ヨセフの二人の息子であるマナセとエフライムを独立させ、それぞれマナセ族、エフライム族とする。

 

 

●父ヤコブに最も可愛がられていた11男ヨセフは、一番下の弟ベニヤミンを除いた兄たちの嫉妬をかい、エジプトに売られてしまう。ところが、当時世界中を襲った大飢蚫から逃れるため、ヤコブと息子たちの一族が全ての財産と家畜を伴いエジプトに赴くと、そこで彼らを迎えたのは、ファラオに次ぐ地位であるエジプト首相に就いていた11男ヨセフだった。

 ヨセフは兄弟たちを許し、イスラエル一族はエジプトの地で子孫を増やして大いに栄えた。だがヨセフの死後、ヒクソス人が駆逐されると、ヘブライの勢力を恐れたファラオが、彼らを奴隷の境遇に突き落としてしまった。

●そうした中、一人の男が立つ。名はモーセ。苦境の中にあったイスラエル人が待ち望むメシアにして、偉大なる大預言者であった。彼は紀元前1290年に全イスラエル民族を率いてエジプトを脱出。以後40年間にも及ぶ集団放浪生活を送ったが、この間に“神”はイスラエル民族に「十戒石板」・「マナの壷」・「アロンの杖」という三種の神器と、それを入れる「契約の聖櫃(アーク)」を授けた。これは“神”とイスラエル12支族との契約の証しで、古代ヘブライ教(原ユダヤ教)の成立を意味した。

●紀元前1250年、大預言者モーセの後を引き継いだヨシュアは、イスラエル12支族を率いてヨルダン川を横断し、 約束の地カナン(パレスチナ地方)へと侵入した。イスラエル12支族は、神が約束した土地であるという大義のもとで先住民と戦い、瞬く間に征服し、支族ごとに12の領地に分割した。
 ここにイスラエル王国の基礎が築かれたわけだが、当初は戦争の英雄がイスラエル12支族を統治していた(士師時代)。

●紀元前1000年頃、預言者サムエルはサウルという英雄を王にして、統一国家を作ろうとした。だが、サウルは傲慢さゆえに失脚。代わって羊飼いの青年ダビデが大王として選任される。ダビデは混乱していた全イスラエル民族を完全に統一し、ここに歴史に名を残す「イスラエル統一王国」が誕生したのである!

 この「イスラエル統一王国」は、ダビデの息子ソロモンの時代に頂点を極めた。イスラエル史上最大の栄華を誇ったソロモン王は、それまでの移動式の幕屋を堅固な固定式の幕屋にするため、耙沢な材料を大量に使用して巨大な神殿を建設した。世に言う「ソロモン第一神殿」である。

●「イスラエル統一王国」が国家として隆盛を誇る反面、民は重税と強制労働に大きな不満を抱いていた。それがソロモン王の死後、噴出し、ソロモンの息子レハベアムが即位すると、エラフイム族のヤラベアムが反乱を開始した。戦火は王国内に拡大し、内乱へと発展した。

 紀元前925年、ついに「イスラエル統一王国」は大分裂! ヤラベアムを支持するルベン族、シメオン族、ダン族、ナフタリ族、ガド族、アシェル族、イッサカル族、ゼブルン族、エフライム族、マナセ族の10支族、そしてレビ族の一部が、サマリアを首都とする「北イスラエル王国(北朝)」の建国を宣言した。
 一方、ソロモンの息子を正統と考えるユダ族、ベニヤミン族の2支族、そしてレビ族の一部は、エルサレムを首都とする「南ユダ王国(南朝)」の建国を宣言した。

 

 

●イスラエル統一王国の分裂は、単に政治的な面にとどまらず、宗教的な面においても分裂を引き起こしてしまった。南ユダ王国は、以前と同じようにソロモン神殿で「絶対神ヤハウェ」を信仰していた。それに対して北イスラエル王国は、黄金の子牛像を作り、これを礼拝、偶像崇拝に陥ってしまった。これは「ヤロベアムの罪」と呼ばれている。

 北イスラエル王国の偶像崇拝は、日ごとに激化し、パレスチナ地方の異教の神々をも礼拝し始めた。そして、ついには本来の古代ユダヤ教とは全く異質な信仰と化してしまったのであった。これがまずかった、と『旧約聖書』では指摘されている。偶像崇拝がイスラエル10支族の霊的堕落の大きな原因となったのである。
 「神」は北イスラエル王国にエリヤ、エリシャ、ホセアといった預言者を送り、民族の霊的回復を図ったが、この預言者たちの必死の呼びかけも空しく、もはや信仰的回復は不可能となっていた。

●紀元前722年、メソポタミア地方に勢力を急速に拡大してきたアッシリア帝国が、パレスチナ地方に侵入し、北イスラエル王国に襲いかかった。必死に防戦したが、北イスラエル王国はあっけなく滅亡してしまった。しかもイスラエル10支族はそのままアッシリア帝国へ連行され、完全に捕囚( ニネベ捕囚)されてしまったのである。
 アッシリア王サルゴンの年代記によれば、「サマリア(北イスラエル王国の首都)の貴族階級27,290人をアッシリアに連行した・・・」とある。

●北イスラエル王国滅亡を目の当たりにした南ユダ王国のユダ族中心のイスラエル2支族たちは、改めて偶像崇拝はいけないことだと自戒し、「ダビデ王統」を守り続けていった。が、しばらくすると、南ユダ王国も同じ過ちを冒し、北朝滅亡から135年後の紀元前587年、 新バビロニア王国によって滅亡してしまった。南朝のイスラエル2支族はバビロンへと捕囚され、不滅と言われた「ソロモン神殿」は破壊された。ユダ族の人々は国も神殿も王も失って、バビロンの地で涙することとなったのである。

●紀元前538年の新バビロニア王国の滅亡と、その後のペルシア帝国の寛容な宗教政策によって、南朝のイスラエル2支族はパレスチナ地方へ帰ることができた。彼らはソロモン神殿を再建し、徹底した契約厳守の律法主義に基づく「新ユダヤ教」を作り、現在のユダヤ人へと至る“目に見える歴史”をたどった。

●南朝のイスラエル2支族が故郷の地に帰還した時、既にアッシリア帝国は滅亡しており、そこへ捕囚されていたイスラエル10支族はパレスチナ地方へ帰ってきてしかるべきであった。しかし、彼らは帰って来なかったのである!
 もちろん帰ってきた者もいたが、それはごくごく一部で、大部分が帰って来なかったのである。しかも捕囚されたアッシリア帝国の地にも、彼らの姿は無かった。ユダ2支族よりも神から多くの祝福を受けていたはずのイスラエル10支族は、いつの間にか歴史の表舞台から消えてしまったのである!

●興味深いことに、冒頭でも紹介した、紀元1世紀の著名な歴史家フラビウス・ヨセフスは、『ユダヤ古代誌』の中で、イスラエル10支族は膨大な数になっていて、ユーフラテス川の彼方に広がっていると記述していた。
 また、聖書外典の「第二エズラ書」は、以下のように、イスラエル10支族は絶対神ヤハウェを信仰し、過去と同じ過ちを犯さないために、信仰の邪魔する者が存在しない土地を目指したと伝えている。

「これらは、ヨシア王の時代に捕らえられ、その領土から連れ出された支族である。アッシリア王シャルマネセルがこれを捕虜として連れて行き、河の向こうへ移した。こうして彼らは異国へ連れて行かれた。しかし彼らは異邦人の群れを離れ、かつて人のやからが住んだことのない更に遠い地方へ行こうと相談した。それは自分の国では守っていなかった律法をそこで守るためであった。こうして彼らはユーフラテス川の狭い径を通って入って行った。」

●現代の歴史学的通説では、彼らは捕囚中に死滅したとか、現地の人間と同化したということにされているが、確たる証拠があるわけではない。世界のベストセラーである『旧約聖書』の主人公であり、神から一番愛されていた民族(選民)である彼らが、 何の断りもなしに消滅することがあっていいのであろうか。彼らの行方は今もって不明である。そのためイスラエル10支族の行方は世界史最大の謎の1つとされているのである。




<ユダヤ問題特集 第4章>
イエス登場を境に大分裂してしまった
イスラエル2支族

●北イスラエル王国を構成していたイスラエル10支族が消息を絶ったのとは対照的に、イスラエル2支族は「目に見える歴史」を歩むことになったわけだが、それはそのまま「迫害され続ける歴史」を意味していた。

●南ユダ王国を滅ぼした新バビロニア王国が、アケメネス朝ペルシア帝国によって滅ぼされると、ペルシア王の寛容な宗教政策によって、バビロンに捕囚されていたイスラエル2支族(ユダ族とベニヤミン族)は、パレスチナの郷土へ帰還することができた。

 しかし、かつての南ユダ王国の首都エルサレムにあって、タビデ王統のシンボルであったソロモン神殿は荒廃しきっていた。そのため帰還を果たしたイスラエル2支族たちは、ソロモン神殿を再建し、徹底した契約厳守の律法主義に基づく「新ユダヤ教」を作った。彼らは神に選ばれて契約を結んだ唯一の民族としての誇りを頑強なものとし、民族的結束を固めた。 イスラエル10支族と完全に離別してしまった彼らは、この時を境にして“ユダヤ人”と呼ばれるようになったわけである。

 とまあ、ここまでが前回紹介した部分で、ここからが今回紹介する部分です(^_^)。

 
 

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●ローマ帝国が台頭し、ローマ帝国から派遣されたエドム人(非ユダヤ人)のヘロデがユダヤの王として君臨すると、選民としての誇り高いユダヤ人たちの多くは、統治者であるローマ帝国に従おうとしなかった。ユダヤ人の間でもローマ支持者と不支持者との争いが絶えず、「スカイリ(短剣党員)」という過激な集団もはびこった。

●ユダヤ人の分裂は政治的分裂にとどまらなかった。 イエスと名乗る謎の青年が登場し、新しい神の法を説き始めると、今度はイエスをメシア(救世主)として認めるか認めないかで宗教的大分裂を起こしてしまった。ちなみに、当時のユダヤ教には祭司を頂点とした「サドカイ派」や「パリサイ派」、「エッセネ派」といった宗派が存在していたが、イエスの登場ほどユダヤ人の宗教的分裂を決定的にしたものはなかった。

●イエスの登場による宗教闘争は純粋にユダヤ人同士の身内の争いであったといえる。なぜならば、イエスの12人の弟子は全てユダヤ人であったし、イエスに帰依した民衆のほとんどはユダヤ人であったし、更に彼らはあくまでもユダヤ教の範囲内でイエスを信じていたからである。

 よって一般に言われているような「イエス率いる原始キリスト教団は最初からユダヤ人と対立していた」という認識は正しくないことになる。正確には、 イエス派ユダヤ人と保守派(パリサイ派)ユダヤ人が対立していたと表現すべきであろう。パリサイ派は、モーセがシナイ山で授かった神との契約(旧約)に基づく「律法主義」に固執していたために、イエスが説いた「新しい神との契約(新約)」を受け入れるのを拒否し、イエスと激しく対立していたのである。

●また、「イエスはユダヤ人によって殺された」という表現も正確ではない。イエスもユダヤ人だったからである。イエスはユダヤ教の中に新しい宗派「イエス派」を形成し、 ユダヤ人のユダヤ人によるユダヤ人のための宗教改革を実施したと言える。そしてイエスのユダヤ教改革は、その後、ユダヤ人という民族の枠を超えた世界的な宗教改革にまで発展していったのであり、ローマ帝国が正式にキリスト教をローマ人の“国教”として認めたのは、イエスの死後300年ほど後のことである。

●さて、イエスが公開処刑されてから約30年後の紀元66年、ユダヤの地の統治者の暴虐をきっかけに熱心党(ゼロテ党)というユダヤ人レジスタンスグループがローマの守備隊を襲い、ユダヤ人とローマ軍は本格的な戦い( ユダヤ独立戦争)を開始した。ローマ帝国内のほとんどのユダヤ人は武装蜂起し、ユダヤ人の独立を試みたのである。
 しかしネロ皇帝が初動させたローマ軍は、圧倒的軍事力によってユダヤ人の大反乱を制圧(紀元68年)し、エルサレムのソロモン第二神殿を完全に破壊した。この破壊跡の一部は現在「嘆きの壁」と呼ばれるユダヤ人の礼拝場になっている。この戦争のユダヤ人犠牲者数は60万人とも100万人ともいわれている。

●更に紀元73年、967名のユダヤ人が7カ月も眥城し続けていた難攻不落の要塞「マサダ」を、8000ものローマ帝国軍が総攻撃。追いつめられたユダヤ人は、2人の老婆と5人の子供を残し、全員自害して果てた。
 そして紀元132年に、ユダヤ人による最後の反乱(バル・コフバの反乱)が鎮圧されると、それをもってユダヤの対ローマ戦争は事実上終結し、ローマ帝国は「ユダヤ州」を「シリア・パレスチナ州」に変名。 ユダヤ人はローマ帝国から徹底的に追放されてしまったのである。

●実は、一連のユダヤ戦争が起こる直前に、イエスの密命を帯びた大量のイエス派ユダヤ人集団(エルサレム教団)が、パレスチナを脱出して、ある地域へ向かって旅立っていたと言われている。彼らの“敵前逃亡行為”は他のユダヤ人たち(パリサイ派集団)から「裏切り者」として非難されていたそうだが、この問題は「失われた原始キリスト教団(エルサレム教団)の謎」として、今後、大きな問題としてクローズアップされていくものと思われる。このほとんど知られていないユダヤ問題に関しては別のテーマとともに触れる予定である。

●ローマ帝国の迫害によって離散の民となったユダヤ人は、ユダヤ教保守派(パリサイ派)の生き残りを中心に、ガリラヤやティベリアに「サンヘドリン(ユダヤ長老議会)」を設置した。サンヘドリンは総主教、教学院長、最高法廷議長の三頭制度で成り立っていた。
 また、イエス生誕以前から自発的に諸外国で暮らしを始めていた離散ユダヤ人もいた。彼らはヘレニズム・ローマ時代に発展を遂げ、地中海やオリエントなどに広がっていた。その中心がバビロニアやエジプトのユダヤ人共同体である。

●ユダヤ人たちは離散の地でユダヤ人の生活原理の規範ともいうべき『ミシュナ』(紀元2世紀)、『エルサレム・タルムード』(紀元4世紀末)、『バビロニア・タルムード』(紀元5世紀末)を結集した。
 『旧約聖書』を補完するものとしての『タルムード』の発生史は、すなわちユダヤ教の発展史である。離散時代のユダヤ社会はかつての神殿祭睚ではなく、「シナゴーグ(ユダヤ教会堂)」のラビ(ユダヤ教指導者)による『旧約聖書』や『タルムード』の研究解釈に切り替わった。このシステムは、現在のユダヤ教にそっくりそのまま受け継がれている。

●この『タルムード』を中核に据えた「新ユダヤ教」を信仰し始めたユダヤ人には、もはやかつてのような預言者も神の声もなくなった。もっとも、より人間が理知的な時代を迎えたためでもあろう。イスラエル10支族との完全離別、新バビロニア王国によるソロモン第一神殿の破壊やローマ軍との大戦争を経験し、マイノリティー化した彼らは、極度の民族的死活問題に直面していた。
 そのために『タルムード』にはより現実的な利益を求める生活指向が盛り込められた。と同時に、非ユダヤ人のことを「ゴイム(家畜)」と表現し罵るなどの、故意に歪められた民族的排他性と独善的選民思想が付随し、他民族に反ユダヤ感情を植え付ける一因となった。

●ローマ帝国に大敗北をきし、パレスチナの地から追放されたユダヤ人は、国を持つことも神殿を再建することもできず、第二次世界大戦後の1948年にイスラエル共和国が建国されるまでの約1800年間、世界各地で差別と迫害を受ける離散生活(ディアスポラ)を強いられることになったわけであるが、彼ら“ユダヤ人”という集団は、この長い長い離散生活の中で、イスラエル2支族としての正統性も純血性も失っていったのである・・・




<ユダヤ問題特集 第5章>
世界の嫌われ者になった
ユダヤ人の苦難

●ローマ帝国の迫害によって離散の民となったユダヤ人は、ユダヤ教保守派(パリサイ派)の生き残りを中心としていたため「パリサイ人」とも呼ばれました。「パリサイ」とはヘブライ語で「特別な者」という意味です。彼らはガリラヤやティベリアにサンヘドリン(ユダヤ長老議会)を設置し、「新ユダヤ教」を信仰する共同生活を送り始めたのですが、今までに体験したことのない前代未聞の「イジメ」に遭遇するようになったのです。

 
 

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●476年にゲルマン人の傭兵隊長オドアケルによって西ローマ帝国が滅び、7世紀にムハンマドを指導者とする「新興宗教イスラム教」が誕生すると、それまでキリスト教によって圧迫を受けていたパレスチナ地方は、 イスラム運動の支配下に入った。

 イスラム教によって民族的に目覚めたアラブ人により、イスラム帝国は急激な成長を遂げ、西アジアから北アフリカ、そして南ヨーロッパ一帯にかけてを版図にし、キリスト教圏と対峙した。

●しかし、イスラム教徒は一部の例外もあるが、基本的にはユダヤ人を迫害し弾圧するということはなかった。なぜならば、アラブ人とユダヤ人はアブラハムの兄弟関係に当たるからである。そのため、アラブ人はユダヤ人を被保護民族と位置づけ、特別な人頭税を課す代わりに、その宗教と生活を保護した。そのため、ユダヤ人は本部をバビロンに置いた。

 このように、イスラム圏内の大多数のユダヤ人は、身分差別をされながらも、その共同体を保ったまま、安定した生活を送ることができたのである。しかも、中世イスラム社会では、ユダヤ教学最高の学者マイモニデスを一大頂点とした学術活動がなされ、ユダヤの思想文化面に輝かしい展開もみられたのである。

●だが、中世イスラム社会とは対照的に、中世ヨーロッパ社会、すなわちキリスト教社会においては、古くからユダヤ人を嫌悪する差別感情が定着していたため、ユダヤ人の職業は制限されていた。1078年にローマ教皇グレゴリウス7世がユダヤ人に対し「公職追放令」を発令すると、全ての職業組合からユダヤ人が締め出される事態となった。

 キリスト教は、他人にカネを貸して利息を取ることは罪悪であると考えていた。ところが、ユダヤ教は『タルムード』の中で異邦人から利子を取ることを許していたので、ユダヤ人は古くから自由に高利貸業を営むことができた。そのため公職追放令が発令されると、ユダヤ人はキリスト教徒には禁止されていた金融業に喜々として手を染めていったのである。「カネに汚い高利貸し」というイメージがユダヤ人に定着したのはこの頃からだと言われている。

●11世紀に「イスラム東方世界」が分裂すると、それまでユダヤ人に対して穏健であったイスラム政権は、ユダヤ首長を追放。これによりバビロンのサンヘドリン本部は陥落してしまった。そのため、彼らは本部をヴェニスに移動した。ヴェニスはユダヤ商人の活躍により、地中海貿易最大の港町へと発展していった。

●で、ローマ教皇の指導により、異教徒イスラム勢力討伐のための十字軍遠征活動(1095年より7回派遣)が開始されると、イスラム社会はキリスト教徒によってかき乱された。しかし、真っ先に血祭りの対象になったのはユダヤ人であった! ユダヤ人は悪魔がキリスト教国とその信徒を抹殺するために送り込まれた“悪魔の集団”とみなされていたのである。

 結局、十字軍遠征活動は聖地エルサレムを奪回するという第一目標を果たせなかったのみならず、ヴェニスの商人の策略によってキリスト教徒同士(カソリック&東方正教会)が討ち合うという有名な悲劇的大事件(コンスタンチノープル攻略事件)を招き、キリスト教史に非常に深い傷跡を残してしまった。

●十字軍遠征活動に代表されるように、キリスト教の修道士や騎士階級が異教徒征伐政策を正当化するにつれて、ユダヤ人に対する迫害は露骨になっていった。13世紀にローマ教会が「異端審問制度」を確立すると、ローマ教会の横暴さは頂点に達した。

 紀元1世紀前後に、古代ローマ帝国に迫害されたオリジナル・ユダヤ人(東洋系ユダヤ人)の多くはスペインに移住していたが、このイスラム勢力下にあったスペインが、15世紀にキリスト教勢力に支配されると、スペインの地にいたユダヤ人は全て国外追放されてしまった(1492年の有名なユダヤ追放事件)。この事件以前にも、ユダヤ人はイギリスやフランスから追放されたことはあったが、スペインのそれは徹底的なものであった。

 この時、スペインから追放された大量の東洋系ユダヤ人たちは「スファラディ系ユダヤ人」と呼ばれ、東欧圏で生活していた白人系ユダヤ人とは区別されている。

●ユダヤ人を追放しなかったキリスト教国でも、イエスを殺害した民族という偏見から、ユダヤ人は抑圧対象とされた。中でも「ユダヤ人集団隔離居住区(ゲットー)」の誕生はその典型である。

 ゲットーは1554年にヴェネチアに初めて設置されたもの(異説もある)で、ローマ教皇パウルス4世がユダヤ人にゲットーへの居住を強制すると、またたくまに世界各地へ広まった。ゲットー内ではシナゴーグ(ユダヤ教会堂)や学校が設置され、ユダヤ人の高い教育水準と宗教文化が保たれることになったが、ユダヤ人に対する差別政策は完全に制度化してしまったのである。

●しかし、全てのユダヤ人がゲットー生活を強いられていたわけではなかった。完全に自由な特権を享受していたユダヤ人が存在していたのである! 彼らはドイツ諸侯の高級官僚や宮廷出入りの御用商人となっていたため「ホフ・ユーゲン(宮廷ユダヤ人)」と呼ばれていた。彼らは天性の商才によって、莫大な富を蓄積していった。
 現在、世界最大最強の財閥として地上に君臨しているロスチャイルド財閥も、もともとはホフ・ユーゲンの出であることで知られている・・・




<ユダヤ問題特集 第6章>
ユダヤ人の世界的解放と
ユダヤ民族主義(シオン主義)の台頭

●1789年、「自由・平等・博愛」を掲げるフランス革命が勃発すると、その2年後に、フランス議会はユダヤ人に平等の権利を認めた。つまり、法的にユダヤ人差別の撤廃が決定されたのである! これはユダヤ史上、画期的な出来事であった。ナポレオンがその人権宣言を基に、ユダヤ人を隔離してきたゲットーを解体すると、その潮流はヨーロッパ各国に広がっていき、世界的にユダヤ解放政策が行なわれた。

●もともと優秀な頭脳に恵まれていたユダヤ人は、それまでのゲットーでの隔離生活から解き放たれると、水を得た魚のように爆発的に各界に進出し、各地で目立つ存在になった。しかし、ユダヤ人の解放が行なわれたとはいえ、それは法的なレベルであり、現実的にユダヤ人差別が解消されたわけではなかった。
 ユダヤ人は国家を持っていなかったので、他人の国に住み着くしかなかった。そのため民主・民族主義の興隆とともに、ユダヤ人を自分たちの国から排除しようとする強烈な反ユダヤ主義勢力(ナチスなど)が台頭するという最悪の事態が生じた。

●19世紀初頭から、ドイツを中心に反ユダヤ暴動が起こっているが、これはユダヤ人を諸悪の根源とみなす過激な反ユダヤ主義運動にまで発展し、1870年代頃から顕著になってきた。ロシアでは1881年から「ポグロム」と呼ばれるユダヤ人大虐殺事件が波状的に起こり、十数万人がその犠牲になった。
 1894年のフランスでは、ユダヤ人士官アルフレッド・ドレフュスが国家機密文書をドイツに売ったというスパイ容疑で逮捕されるという「ドレフュス事件」が起こり、真偽を巡ってフランスの世論は二分された。この事件は結局、冤罪ということが判明したが、ドレフュスがユダヤ人であったために、犯人にでっちあげられたのである。

●近代ヨーロッパ社会において、ユダヤ人の解放と脱ユダヤ化(キリスト教社会への同化現象)が進むようになってからも、ユダヤ人に対する弾圧や差別は依然として解消されなかった。そのために、ユダヤ人の間に伝統への回帰指向が強まり、“ユダヤ版の民族主義”すなわち「シオニズム(シオン主義)」が盛んになっていった。
 シオニズム運動とは一般的に「ユダヤ人がその故地“シオンの丘”に帰還して国家を再建する運動」と解されている。ここでいう“シオンの丘”とは、かつてソロモン神殿があった聖地エルサレムを中心にしたパレスチナの土地を意味している。

●ユダヤ国家再建のためのシオニズム運動は、厳密には「政治的シオニズム運動」と称されるものであり、その他に、離散ユダヤ人のためにパレスチナに精神的中心機関を設置し、ユダヤ固有の文化を興隆させようとする「文化的シオニズム運動」もある。
 更には、ユダヤ人は国家を失っても固有の宗教民族性を保持できたのであるから、あらゆる国の中にユダヤ人の精神的国家を樹立すべきだという「修正シオニズム運動」や、土地の開拓に基礎をおいた「実践シオニズム運動」などもあった。

●近代における反ユダヤ主義と民族主義の台頭が、シオニズム運動形成への大きなベクトルとなったことは疑いがない。ユダヤ人は迫害されればされるほど民族的結束を強めていき、自分たちの民族的独立を夢見た。そのため、各種シオニズム運動の中で主流となったのは、政治的シオニズム運動と実践シオニズム運動を統合した「総合シオニズム運動」であった。

●シオニズム運動の先駆者にはモーゼス・ヘスなどがいたが、政治的シオニズム運動に決定的な役割を果たしたのはテオドール・ヘルツルであった。この「ユダヤ建国の父」と称されるヘルツルは、シオニズム運動とは全く無縁な“同化ユダヤ人(キリスト教社会同化者)”であった。ところが、フランスのドレフュス事件に遭遇し、自らの民族感情を呼び覚まされたのであった。

 ヘルツルは、ユダヤ人の悲劇の根源は“国家”を持たないところにあると考え、ユダヤ国家樹立こそ急務であるとした。彼は『ユダヤ人国家』を著し、1897年には、スイスのバーゼルで国際的な「ユダヤ会議(第一回シオニスト会議)」を開催し、「世界シオニスト機構」を設立。シオニズム運動の国際認知のために、精力的な外交活動を展開していった。

●一口に“シオニズム”といっても複雑多様な運動形態があったわけだが、互いに反目しあったり、更にはシオニズムそのものに反対するユダヤ人は少なくなかった。

 「文化的シオニズム運動」を提唱していたアハド・アムは、ヘルツルの「政治的シオニズム運動」を批判していた。また、ユダヤ教の主流ともいうべき伝統にのっとった「ユダヤ教正統派」は、シオニズム運動そのものが世俗的なものであるとして支持しなかった。ユダヤ人社会主義組織「ブント」のメンバーも、シオニズム運動を“反動ブルジョア的”と決めつけ非難していた。更に「ユダヤ教改革派」も、ユダヤ人は民族ではなく宗教集団であるから、国家を樹立する必要はないとして反対していたのである。

●が、しかし、興味深いことに、シオニズム運動は、第一次と第二次にわたる「世界大戦」を通じて急激な展開を見せていく・・・。

●1914年に始まった第一次世界大戦において、イギリス政府はユダヤ人に対して、連合国を支援すればパレスチナにユダヤ国家再建を約束するという「バルファア宣言」を行なった。しかしこのバルフォア宣言は、実際にはイギリス政府とユダヤ人大富豪ロスチャイルドとの間で勝手に交わされたもので、パレスチナの地に圧倒的多数を占めるアラブ人の意向を全く無視した約束だった。

 シオニズムを支持するユダヤ人たちはイギリス政府の約束を信じ、連合国に協力して参戦。第一次世界大戦後、パレスチナ地方はそれまでのオスマントルコ帝国の支配からイギリスの信託統治領(植民地)となった。ユダヤ人たちは、いよいよユダヤ国家建設が本格的に着手されると胸を躍らせた・・・。

●しかし、イギリス政府はユダヤ人に対するバルフォア宣言以前に、アラブ人側と「フセイン・マクマホン書簡」も取り交わしていた! イギリス政府はユダヤと同じような取り決め(アラブ国家樹立の約束)をアラブ側にも行なっていたのである! あの有名なアラビアのローレンスは「アラブ国家樹立」を夢見て活動していたわけであるが、結果的にユダヤ国家樹立計画もアラブ国家樹立計画も宙に浮いてしまったのは、誰もが知るところである。

●宙ぶらりん状態になったパレスチナ地方は、 イギリスとフランスの植民地になってしまった! しかも、それまで仲が良かったユダヤ人とアラブ人との間には大きな亀裂が生まれ、この時にアラブ人による本格的な反ユダヤ運動が初めて開始された。そして、ヨーロッパにおける反ユダヤ運動が高まり、それを恐れた多くの白人系ユダヤ人が東方の地パレスチナの土地を買い漁り、入植を始めると、アラブ人の反ユダヤ感情は激しいものとなっていった。

●1930年代、ドイツに反ユダヤ主義を高々と唱える「ナチズム(アーリア人至上主義)」 が台頭してくると、シオニズム運動に対して意見がまちまちであったユダヤ人たちは一致団結し、進んでシオニズム運動に協力するようになった。

 ナチス・ドイツによる過激なそして露骨なユダヤ人迫害( ホロコースト)が世界に報道・宣伝されると、世界の多くの人々がユダヤ人に同情するようになった。多くの人がファシズムを恐れ、ユダヤ人に涙した。
 ナチスをきっかけにユダヤ人に対する国際世論が180°転換され、良好になったことは、ユダヤ史において非常に重要な意味を持っている。この時期を境にして、ユダヤ人の国際的発言力は高まった。

●ナチスのホロコーストが誇張されて報道されているとか、アウシュビッツは無かったとか、一部の特権的ユダヤ人がナチスに資金援助していたとか主張する研究家が後を絶たないが、真偽はともかくいずれにせよ、“ユダヤ人”と呼ばれる多くの人間が徹底的に迫害されたことは歴史的事実である。

●国際世論に支持される形で勢いに乗ったシオニズム運動は、第二次世界大戦終結後にイスラエル共和国を樹立するという快挙を成し遂げた。しかし、イスラエル共和国がユダヤ人の純粋な“宗教心”によって建国されたと断定してしまうには、あまりにもムリがあるように思える。

●ユダヤ人が悲願の建国を果たしたイスラエル共和国を、 超正統派ユダヤ人は認めようとしない。なぜならば、イスラエル共和国は建国において“メシア信仰”を無視し、しかも政教分離という近代国家の原則を採用した世俗国家であるためだという。超正統派ユダヤ人からすれば、このようなイスラエル共和国が“国家”と名乗ること自体、神に対する許しがたい冒とくに他ならないという。

 この超正統派ユダヤ人は「聖都の守護者」を意味する「ナトレイ・カルタ」と呼ばれ、現在のイスラエル共和国はユダヤ教の本質を完全に逸脱した世俗的な寄せ集め集団に過ぎない、として徹底的に批判している。超正統派のユダヤ人の主張によれば、メシア(救世主)が出現して初めて真の栄光に満ちたイスラエル国家が誕生するという。従って彼らは、メシアの出現を待望してやまず、祈りと戒律を厳守した極めて求道的な生活を日々送り続けている。

●超正統派ユダヤ人の主張に限らず、イスラエル共和国が全てのユダヤ人にとっての理想の国であるのかといえば、必ずしもそうといえない現実がある。膨大な軍事費や移民政策により、国家財政は赤字であり、インフレ率も極めて高い。希望に満ちてイスラエル共和国に移住したものの、 失望してもとの国へ帰ってしまうユダヤ人も少なくない。

 しかも、イスラエル共和国に住むユダヤ人よりアメリカ合衆国に住むユダヤ人のほうが100万人も多い。また、ユダヤ教そのものが風化し始めており、イスラエル共和国の持つ宗教的求心力は弱まりつつある。
 中東戦争は過去4回も行なわれ、かつて迫害される立場にあったユダヤ人は、現在、 パレスチナ先住民を迫害する立場に立っている。何かが矛盾している。世界の多くの人々も、イスラエル共和国に何か矛盾したものを感じ始めているようだが・・・




<ユダヤ問題特集 第7章>
現在も続くジオニストたちの
反セム主義活動

●実は、ポグロムやホロコーストと呼ばれる、ロシアやドイツでのユダヤ人たちに対する大迫害の被害者のほとんどはアシュケナジー系ユダヤ人だった。そのため、イギリスの「バルフォア宣言」をはじめとする三枚舌外交や、ナチスの台頭などによって、欧米にいたアシュケナジー系ユダヤ人が難民としてパレスチナに大量に流入し始めると、アラブ人社会に大きな混乱が起きてしまった。パレスチナに入植してきた白人系ユダヤ人は異民族(非セム系)であるため、アラブ人とは最初から折り合いがつかなかったのである。

●第二次世界大戦終結直後、国連に支持される形でイスラエル共和国がアラブ人の地に強引に建国され、100万人以上ものパレスチナ難民が発生したわけだが、この時の功労者のほとんどはアシュケナジー系ユダヤ人ばかりであった。しかも当時のイスラエル人口の80%がアシュケナジー系ユダヤ人によって構成されており、パレスチナの先住民から見れば、イスラエル共和国は明らかに“白人国家”であった。

●現在もイスラエル政府の要職についている人間は、ほとんどがアシュケナジー系ユダヤ人であり、イスラエル国内は支配する立場のアシュケナジー系、支配される側のスファラディ系という二重構造になっている。政治家や学者、医者などにはアシュケナジー系が多い。その反面、肉体労働者にはスファラディ系が多く、彼らのほとんどは経済的に貧しく、下積み状態に置かれているという。

 ちなみに、ユダヤ教自体もアシュケナジー系とスファラディ系とに区分されており、同じ町に住んでいても異なったシナゴーグ(ユダヤ教会堂)へ足を向けることになっている。現在のアシュケナジー系のチーフ・ラビ(ユダヤ教最高指導者)はアブラハム・シャピラであり、スファラディ系のチーフ・ラビはモルデカイ・エリヤフである。

●1988年5月、東京で「イスラエルの占領・核・人権に関する国際シンポジウム」が開かれた。そのとき招かれた一人のスファラディ系ユダヤ青年が、以下のようなパレスチナ騒動に関する見解を述べた。

「初代のベングリオン首相から現在のシャミル首相に至るまで、イスラエルの歴代為政者は全て東欧・ソ連からアメリカを経由してイスラエルに入植してきた人たちである。これら“欧米系ユダヤ人”は、伝統的にアラブ社会を敵視してきた。彼らはユダヤ教とアラブ社会のイスラム教は互いに相いれない宗教だと決めつけ、戦って倒すべき相手だとする見方に立っている。」

「だが、イスラエルには中東や北アフリカから帰還したユダヤ人もいる。この人たちは伝統的にアラブ社会と友好・共存共栄主義者である。イスラエル政治が欧米系ユダヤ人の手から中東・アフリカ系ユダヤ人(スファラディ系ユダヤ人)の手に移るまでは、中東に真の和平は到来しないのではなかろうか・・・」

●一般に、パレスチナ問題というと、短絡的に「ユダヤ人vsアラブ人」という宗教的対立構造が持ち出されがちであるが、現在のイスラエル共和国は真のユダヤ人国家(セム系国家)ではなく、白人国家に近い存在なので、実際は「白人(非セム系)vsセム系先住民族」という帝国主義的対立構造が展開され続けているといえよう。湾岸戦争にも見られたように、数百年間続く西側諸国のエゴイスティックな政治的・経済的世界戦略が現在の中東の混乱状態を作って来たといえる。
 ちなみに、イスラエル共和国に反抗を続けているパレスチナ・アラブ人たちのほとんどは、アシュケナジー系ユダヤ人が血縁的に本当のユダヤ人ではなくハザール人であることを知っているという。

●ところで、一般にシオニズムを崇めるユダヤ人を「シオニスト」と呼ぶが、前回で触れたように、シオニズムには文化的なものから政治的なものまで、幅広いバリエーションがある。そこで私は、急進的かつ排他的なシオニズムを奉じる人々を、他の穏健で良心的なユダヤ人たちと区別する意味を込めて「ジオニスト」と呼ばせていただく。もっとも“シオン”は英語では“Zion”と表記されるので、この区別化は日本語でしか通用しないのだが。

●アルフレッド・リリアンソールはイスラエル建国以来、一貫して“反ジオニスト”の立場に立つジャーナリストである。彼の父方の祖父はアシュケナジー系ユダヤ人で、祖母はスファラディ系ユダヤ人であった。彼はアーサー・ケストラーの本よりも2、3年も早く『イスラエルについて』という本を書き、その中でアシュケナジー系ユダヤ人のルーツ、すなわちハザール人について以下のように述べている。

「東ヨーロッパ及び西ヨーロッパのユダヤ人たちの正統な先祖は、8世紀に改宗したハザール人たちであり、このことはZionistたちのイスラエルへの執着を支える一番肝心な柱を損ねかねないため、全力を挙げて暗い秘密として隠され続けて来たのである。」

●もともとパレスチナに住んでいたユダヤ人は少数派で、19世紀半ばのパレスチナにおけるユダヤ人口は、1万人前後だったとはじき出されている。

 また、1922年のイギリス支配時代においても、66万8000人のアラブ人がパレスチナの土地の98%を所有していたのに対し、8万4000人のユダヤ人は2%の土地を所有しているに過ぎなかった。

 それが1948年になると、76万人に膨らんだユダヤ人がパレスチナ領土の75%以上を支配するようになり、135万人のアラブ人がパレスチナから追い出されてしまったのである。そして、1967年に第三次中東戦争が勃発すると、236万人のユダヤ人がパレスチナ全土を支配するようになり、パレスチナ難民は約300万人にまで膨らんだのである。

●「外国からのユダヤ人が来るまでは、お互い行ったり来たりしながら仲良く暮らしていたものです。」という言葉は、1948年以前にパレスチナに住んでいたアラブ人がよく口にする言葉である。

 “外国からのユダヤ人”というのはいうまでもなく、建国後に移住して来た欧米系エリート階級(ジオニスト)を指す。そのような指導者階級のもとで強引に推し進められた「植民(入植)政策」によって、カナンの時代からパレスチナに住んでいたセム系先住民の土地が奪われていった。そのため“パレスチナ・アラブ人”たちの抵抗運動は死にもの狂いの“テロリズム”にならざるを得ない。

 同じアブラハムの末縺(セム系民族)である東洋系ユダヤ人(スファラディ系ユダヤ人)とアラブ人が殺し合わねばならない必然的な理由は、本来どこにも見当たらないはずである!!

●そもそも「シオニズム」というものは、東ヨーロッパのイーディッシュ語圏のユダヤ人社会で生まれ、建国以前からイスラエルに移住して来たのも、主にこのロシア・東欧にいたアシュケナジー系ユダヤ人たちであった。アウシュビッツ強制収容所はドイツではなくポーランドにあった。ソ連によるユダヤ人迫害はナチスに劣らないものであった。

 イスラエルの指導者たちのほとんどは彼らの中から出て来た。しかし、スファラディ系ユダヤ人(東洋系ユダヤ人)の多くは、建国後に地中海沿岸地方やアフリカ地方から連れて来られ、現在では対アラブの楯とされ、下積み状態に置かれたままである。

 現在も、イスラエル政府は積極的な「入植政策」を行なっているが、ソ連崩壊後のロシアから80万人以上ものユダヤ人を呼び寄せたり、占領地に鉄筋コンクリートの頑丈な住宅を増築していくなど、パレスチナ問題を一層解決困難な状態に導いてしまっている。

●ところで、イスラエル指導者(ジオニスト)たちは、アラブ世界に激しい偏見を持ち、スファラディ系ユダヤ人たちを“下等民族”とみなしていることは否定できない事実である。それは発言の中でも度々見受けられる。例えばイスラエルの初代首相デイビッド・ベングリオンは以下のような発言をしていた。

「モロッコから来たユダヤ人は何の教育も受けていない。彼らの習慣はアラブ的である。私が好きではないモロッコ文化がここにある。私たちはイスラエル人がアラブ的になって欲しくない。私たちは個人と社会を破壊してしまう『レバント(東地中海沿岸地方)精神』と戦い、ディアスポラ(離散)のなかで作り上げて来た本当のユダヤ的な価値を維持しなければならない。」

●イスラエル第5代首相ゴルダ・メイアは、スファラディ系ユダヤ人に対して人種差別的な傲慢さを明らかにした。
「私たちはモロッコ、リビア、エジプトその他のアラブ諸国からのユダヤ移民を抱えている。私たちはこれらのユダヤ移民たちを適切な文化レベルまで引き上げてやらなければならない。」

●イスラエル外相を務めたアバ・エバンは、スファラディ系ユダヤ人とアラブ世界に対する偏見をはっきりと言い表していた。
「私たちが自分たちの文化的状況を見るにつけ、心痛むことが一つある。それはアラブ諸国からやってきたユダヤ移民たちが、やがて優位に立ってイスラエル政府に圧力をかけることになり、隣国すなわちアラブ諸国の文化レベルにまで落としてしまわないかということである。」

●現在、ジオニストたちが掲げる「シオニズム」は信仰でも宗教でもなく、ハザール人による民族主義そのものといってよいだろう。彼らは中東文化を軽蔑し、ヨーロッパ文化を崇拝し続ける。
 非セム民族であるイスラエル指導者(ジオニスト)がシオニズムを実行していく限り、セム系先住民を排撃し続けるし、オリジナル・ユダヤ人(スファラディ系ユダヤ人)たちに下積み生活(二流階級生活)を強いる。まさにイスラエル共和国は“反ユダヤ国家”ぎりぎりの国である。オリジナル・ユダヤ人たちの中には、「シオニズムとナチズムは同じである」とか「アシュケナジーはアシュケ・ナチス!」と言う人がいるほどだという。

●ある日、イスラエルのエルサレム中に一夜のうちに多くのポスターが貼られたのだが、そこには「アシュケナジー系ユダヤはハザールだ!」と書かれていた。明くる日の朝、政府は警察によって全てをはがしてしまった。しかしその時、イスラエル中に与えた衝撃は計り知れないものだったと言われている。
 このように、イスラエル国内ではパレスチナ人差別だけでなく、白人系ユダヤ人が東洋系ユダヤ人を差別するという現実が横行しているわけだが、 スファラディ系ユダヤ人(東洋系ユダヤ人)の不満は爆発しつつあるのだ。

●イスラエル建国前、イギリスと裏取引したといわれる毒ガス化学者ハイム・ワイツマン博士。彼はのちにイスラエル初代大統領になった男だが、彼のことをピンチャス・エリヤフというユダヤ人は著書『聖地の戦い』という本の中で以下のように書いている。

「ユダヤ・コミュニティにおいてZionistたちは社会制度の支配権を握ろうとして多くのキャンペーンを張った。例えば第二次大戦中、エルサレムでは食料がなく、多くのユダヤ人たちが飢餓状態に置かれていた。そこへワイツマンが海外からの大量の食料援助を船に積んでやってきたのである。だからといってワイツマンは、飢餓状態にあるユダヤ人たちにそれを無条件に与えたのではない。彼らが宗教学校のカリキュラムから宗教色を除いてシオニズム化するならば、それを与えようという条件を出したのであった。当然、現地のユダヤ人たちは断固としてそれを拒んだ。そして、その結果、多くのユダヤ人たちが餓死したのである。多くの施設は非宗教化され、今日でもZionistの支配下に置かれている。」

●「シオニズム」について、ジャック・バーンスタインというアシュケナジー系ユダヤ人は次のように述べている。

「実はほとんどのユダヤ人というものは無神論者である。あるいは反神の宗教ともいえるヒューマニズム(人間至上主義)に従っている。だからユダヤ人とは宗教的な人々であり、イスラエル建国は聖書預言の成就であるととらえるのは神話でしかすぎない。しかもユダヤ人が単一民族であるというのはもっと神話である。アシュケナジーとスファラディの間には完全なる区別がある。これこそ最大の証拠である。イスラエルで行なわれている人種差別は、イスラエルという国家を遅かれ早かれ自滅させてしまうことになるだろう・・・」

●サザン・バプテストの 「新約聖書学」教授フランク・スタッグは、以下のような見解を述べている。

「今日のイスラエル国家は数ある国々の一つにすぎない。それは他のあらゆる政治国家と同様に“政治国家としての運命”を辿らなければならない。他のあらゆる政治国家のように判断されなければならない。現在のイスラエルの国や国民を“神のイスラエル”とすることは、『新約聖書』の教えにおいて致命的な誤りを犯している。」

●また、プレズビテリアンの 「旧約聖書学」教授オーバイド・セラーも、このことを次のように結論づけている。

「現代のパレスチナにあるユダヤ国家は、聖書や聖書預言によって正当化されるものであるというZionistたちの主張を支持するものは、『旧約聖書』にも『新約聖書』にもないということに私とともに研究している者たち全てが同意している。更に聖書預言という“約束”は、ユダヤ人やZionistだけではなく全人類に適用されるべきものである! “勝利”“救い”という言葉は本当の聖書の意味としては宗教的・霊的なものであって、政治的な敵を征服するとか崩壊させるとかいう意味のものではない。」

「『新約聖書』を信じるキリスト教徒であるならば、もともとそこに住んでいた人々から政治的、また軍事的力によって奪い取ってつくった現代のイスラエル共和国を、キリスト教徒の信仰の神の“イスラエル”と混同させてはならない。これら二つのイスラエルというものは完全に対立しているものなのである。」

●厳格な“反ジオニスト”で超正統派ユダヤ教徒グループ「ナトレイ・カルタ」の指導者であるラビ・モシェ・ヒルシュは、1992年に以下のような声明を発表した。ちなみに彼は自らを“パレスチナ人”と呼んでいる。アシュケナジー系ユダヤ人なのであるが、パレスチナ人と同じ心を持っているという意味なのである。

「敵であるZionistと私たちの戦いは、妥協の余地のない、まさに “神学戦争”なのである。」
「ユダヤ人たちが全世界に追放されたのは、神の意志によるのであって、彼らが神の律法を守らなかったためである。あらゆる苦難をへて、メシア(救世主)が到来するまでそれは続く。メシア到来によってのみそれが終わるのである。それゆえに、Zionistあるいはその関係機関が神を無視して世界中からユダヤ人たちに帰ってくるように強要するのは、ユダヤ人たちをいよいよ危険に陥れる“不敬の罪”を犯していることになる。」
「もしZionistが神を無視し続けるならば事は重大である。ここ、すなわちイスラエルは地上で最も危険な場所となろう。」

●ここで、念のために「ジオニスト」という用語の定義を再確認しておくが、“アシュケナジー系ユダヤ人”=“ジオニスト”ではなく、 急進的で排他的なシオニズムを掲げる人間たちのことを「ジオニスト」と呼んでいるのである。
 アシュケナジー系でありながらも、自らの歴史に正しく直面しようと努力している人間や、シオニズム活動を“人種差別活動”として強く批判している人間はちゃんと存在しているので、誤解しないように。

●ところで、ジオニストのシンパはアメリカに大勢いる。

 世界中のユダヤ人の人口は約1350万人で、そのうちの約半分の580万人ものユダヤ人がアメリカに居住しているわけだが、この数は皮肉にもイスラエル共和国のユダヤ人口(460万人)を大きく上回っている。そもそもアメリカのユダヤ人たちは、1948年から1952年までのイスラエル建国にとって最も大切な時期に、わずか4000人しか移住しないという、これまた一般人には理解しがたい歴史を刻んでいる。

●ジオニスト団体の中で最も強力に組織されているのが「アメリカ・イスラエル公共問題委員会(AIPAC)」という親イスラエルの圧力団体である。AIPACは「アメリカ・ジオニスト評議会」を母体として1953年に創設されたものだが、政府や議会の多くの要人たちと常に連携して、アメリカの政策をイスラエルの利益と合致させるように努めている。このため、アメリカ外交全体に与える影響力は無視できないものがある。

 AIPACは“ワシントン最強のロビー”として有名であるが、議員の言動に少しでもイスラエルに批判的なところがあれば、容赦なく「反ユダヤ主義者」と決めつけ、その人物の政治生命さえ危うくしてしまう。「反ユダヤ主義者」呼ばわりされることは、ヒトラーと同類と見なされるから、アメリカでは致命的である。

●AIPACはユダヤ人・非ユダヤ人からカンパを募り、イスラエルに送金したり、アメリカの政治家に献金したりする仕事も行なっている。ちなみに、アメリカにおいてイスラエルを援助するための献金には一切税金をかけてはならないと法律で定められているが、パレスチナ難民に献金しようものなら、たちまち税金がかけられてしまう。
 また、アメリカ政府は世界最大の借金国となった今でも、アメリカ国民の税金を使ってイスラエル共和国に毎年30億ドル以上の無償援助を続けている。

●1996年初頭のアメリカ大統領予備選において、ブキャナン候補は「今、アメリカは自分の国のことで手が一杯である。アメリカ国民の税金はアメリカ人の幸せに使われるべきであり、イスラエルへの無償援助は削減すべきだ」と主張した。するとたちまち世界中の親イスラエル団体は「反ユダヤ主義者」「過激な人種差別主義者」「ヒトラーの再生!」と非難合唱した。

●また、ロシアからパレスチナに移住して来たゴルダ・メイアという女性は第5代イスラエル首相になった時、次のように言ったといわれている。
「我々ユダヤ人は、ほとんどが無神論者であることをお互いよく知っている。しかしアメリカやイギリスから多くの援助を得なければならない。ゆえに我々は信仰を持っているふりをしなければならない。」

●ところで、白人系ユダヤ人が本当のユダヤ人ではないという事実は、世界の何百万もの人間のアイデンティティそのものに関わる問題なので、多くの人は「そっとしておけばいいじゃん」と思うかもしれないが、ジオニストたちが自分たちのことを『旧約聖書』によってたつ敬繪な 「選民」だとし、イスラエル建国を「聖書預言の成就」だと一方的に正当化させ、排他的かつ急進的なシオニズム活動を公然と展開し続ける限り、我々はシオニズムの土台に当たる「ユダヤ人の定義」を厳密に問いただしていく必要があろう。

●繰り返すようだが、『旧約聖書』においての「ユダヤ人」とは「民族としてのユダヤ人/イスラエル民族」以外にあり得なく、アブラハム、イサク、ヤコブの子孫である人々(東洋系ユダヤ人)のみを指し示すことを明確に厳密に定義づけている。

 よって、彼ら(イスラエル政府含む)が主張し続ける宗教的優越性に満ちた「シオニズム(Zion主義)」は、何の根拠もないばかりか、アイデンティティの源泉である『旧約聖書』を完全に無視したものになっているのである。
 いつまでも“ユダヤ教徒”であることと“ユダヤ人”であることとを混合して、問題のすり替え(自己正当化)をし続けることは許されないだろう。

●以上のようにユダヤの“内部事情”を見る限り、パレスチナ問題は、イスラエル本国にいるジオニストたちに限らず、世界中(特にアメリカ)にいるジオニストたちが自分たちの“真の歴史”を明らかにして(認めて)、強硬な姿勢を崩さない限り、真の和平に到達できないと見るべきであろう。 虚構と欺疽に満ちたZion主義がのさばり続ける限り、パレスチナ人の血と涙は流れ続けるのである。

 今でもジオニストの真相に触れようとすると、彼らは“反ユダヤ”という常套句を口にして非難するが、ユダヤ人でもないのに自らを“ユダヤ人”と偽ってセム系民族をかき乱し、公然と殺し続け、セム系民族が主人公である神聖な『旧約聖書』と矛盾した行動をとり、アブラハム一族を汚し続けるジオニストの指導者たちこそ、反ユダヤ主義以上に悪・な「反セム主義者」であることを忘れてはなるまい。このまだ解決のメドのたたない「反セム主義」の世界的放置は、戦後の世界史並びにユダヤ史における大きな汚点の一つになることはまず間違いないであろう。

●『新約聖書』の預言には次のような一文がある。これは高慢なジオニストたちのことを指摘しているのであろうか?
「ユダヤ人だと自称しているが、実はそうでなく、かえってサタンの会衆である人たち・・・」(「ヨハネの黙示録」第2章 )

●1992年8月20日付の朝日新聞夕刊は、アシュケナジー系ユダヤ人の由来まで踏み込まなかったものの、以下のような驚くべきニュースを報じている。

「6世紀から11世紀にかけてカスピ海と黒海にまたがるハザールというトルコ系の遊牧民帝国があった。9世紀ごろ支配階級がユダヤ教に改宗、ユダヤ人以外のユダヤ帝国という世界史上まれな例としてロシアや欧米では研究されて来た。 (中略)この7月、報道写真家の広河隆一氏がロシアの考古学者と共同で一週間の発掘調査をし、カスピ海の小島から首都イティルの可能性が高い防壁や古墳群を発見した・・・」

●ボルガ川はかつて“イティル川”と呼ばれ、カスピ海は今でもアラビア語やペルシア語で“ハザールの海”と呼ばれている。この地に残る巨大帝国の遺跡群は、ジオニストたちに「おまえたちの故郷はパレスチナ地方ではなく、カスピ海沿岸のステップ草原である」ということを訴えているようだが・・・




<ユダヤ問題特集 第8章>
栄華を極める世界最大最強の
ロスチャイルド財閥

●前回まで私は、ユダヤ人はイエスを殺した民族として世界の嫌われ者となり、16世紀ごろからユダヤ人の隔離生活が制度化されたのだが、そんな風潮の中でも自由を享受していた「宮廷ユダヤ人(ホフ・ユーゲン)」がいたことを紹介した。また、ジオニストは20世紀前後に誕生した集団であり、ナポレオンによるユダヤ解放政策後に起きた反ユダヤ主義の台頭の反動として生まれ、第二次世界大戦後に自分たちの国(人工国家)をつくることに成功したということも紹介した。

 今回は“ユダヤ商人”の実態を取り上げたいと思うが、まず近代・現代における反ユダヤ主義の特徴は、ユダヤ人がイエスを殺した民族だからというよりも、彼らが急激なビジネス進出をして大成功を収めていくことに、他民族が“嫌悪感”“嫉妬”“ただならぬ不安”を抱いたという点にあったことに注目してもらいたい。何しろ彼らは世界不況の中でも稼ぎ続けた。そのため、世界不況や革命は全てユダヤの陰謀だとする書物も出回ったほどである。

●我々は冷静な目を持って、ユダヤ商人の歴史と現在の様子を眺められる時代に生きているわけだが、彼らは一体どのような世界を築いてきたのかを、ロスチャイルド家を軸として見ていくと面白いと思う。

 
 

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●資本主義の世界的発展とともに、当然の成り行きとして「国際資本家集団」という“国家”という枠組みにとらわれない新勢力(多国籍企業群)が台頭した。それまでの世界史において“世界戦略”と言う場合、「国家による領土獲得」という意味を強く持っていた。

 しかし20世紀半ばに入ると、国家と国家による領土争いというよりは、「無国籍性を帯びたビジネス集団たちによる利権争い」によって世界が大きく動くようになった。国の利益よりも自分たちの利益を最優先する“国際資本家集団”たちの水面下での暗躍は、“国家”という存在を非常に分かりにくくしてしまったといえよう。

●無国籍性を特徴とする国際資本家集団のドンはロスチャイルド家である。日本人の中にはロスチャイルド家の存在すら知らない人が多くいることに驚くが、ちゃんと現実に存在しているファミリーであり、現在、世界最大最強の巨大財閥を誇っている。
 欧米の上層階級で、ロスチャイルドの名を知らぬ者は皆無と言われているが、彼らはロスチャイルドの異常な世界的利権支配を大衆に知られることを妙に嫌っている。そのため、一般人の間でロスチャイルドを問題にすることはタブーとされる風潮にある。

●私も、本当はこのロスチャイルド家の事柄にはあまり触れたくないのであるが、ユダヤ問題を総合的に取り扱うとき、どうしても避けられない存在なので、大ざっぱに触れておきたい。中途半端な説明をするとかえって大きな誤解を生じさせてしまう可能性があるので、彼らの想像を絶する世界的ネットワークを詳細に知りたい方は、『地球のゆくえ』『赤い楯』(ともに集英社)に血のコネクション&資本のコネクションが系図とともに克明に描かれているので、それを参考にするといいと思う。
 特に同じユダヤ商人の血を持つ日本人(私の独断だが)は、彼らと対等に付き合うためにも知っておいて損はないと思う。

●ロスチャイルド家の公式な歴史は、1743年にドイツのフランクフルトで生まれた、マイヤー・アムシェル・ロスチャイルド(ロスチャイルド1世)の活動とともに始まっている。

 彼は少年時代にユダヤ教のラビとして教育され、商人であった父親からは商売を仕込まれた。彼は最初、ハノーバーの「オッペンハイム銀行」に見習いで入ったが、やがて独立して両替屋である「フランクフルト・ロスチャイルド商会」を営んだ。
 26歳の時に、フランクフルトの領主であるヘッセン侯爵家のウィリアム皇太子(のちのウィリアム9世)に金貨を売ったことがきっかけで“御用商人”に登録され、そのうちにヘッセン侯爵家の財政や国際的な資金調達の仕事に深くかかわるようになり、「宮廷のユダヤ人(ホフ・ユーゲン)」の一人となった。

●ロスチャイルド1世は非常にラッキーマンであった。1785年にヘッセン侯爵が亡くなると、その子ウィリアム9世は4000万ドルもの財産を相続した。これは当時のヨーロッパで最大の私有財産と言われている。更にウィリアム9世は、自国の国民を全ヨーロッパの君主に「傭兵」として貸し付け、莫大な富に莫大な利益を加算させていった。

 1801年、ロスチャイルド1世はヘッセン侯爵家の「銀行事務弁理人」に任命され、当時のヨーロッパ最大の資本国の金庫の管理を任されたのである! 更に、1806年にナポレオン1世のヨーロッパ遠征が始まると、フランクフルトのウィリアム9世は領土を放棄しなければならなくなったのだが、その時に、その巨万の財産を安全に保管するようロスチャイルド1世は命じられて、彼はそれを安全地帯であるロンドンに送って息子に管理させることとなった。このヘッセン侯爵家の財産こそロスチャイルド家の巨万の富の出発点となったのである。

●ロスチャイルド1世には5人の息子がいたのだが、それぞれをヨーロッパ列強の首都に派遣して次々と支店を開業させ、それぞれがロスチャイルドの支家となった。

 三男ネイサン(ロスチャイルド2世)は1804年にロンドンに派遣され、そこで支店「ロンドン・ロスチャイルド商会」を出した。次男サロモンはウィーンに、五男ジェームズはパリに、四男カールはナポリに支店を開業し、長男アムシェルはフランクフルト本店に残った。
 彼ら5人の息子はそれぞれの国の政府と癒着して“貴族”の称号を得て、政治的にも活躍し、今日の“ロスチャイルド金権王朝”の基礎を作ったのである。

●パリの五男とウィーンの次男は協力して、ヨーロッパ全体をカバーする通信と馬車輸送のネットワークを作り上げた。そしてそこから誰よりも早く得られる情報を利用して、ロンドンの三男が金や通貨の投機をして大儲けするという兄弟ならではの連携プレーをし、今日の“多国籍金融ビジネス”の原型を作り上げた。
 また、1810年にロンドン証券取引所の支配者フランシス・ベアリングが亡くなると、ロンドン支店の三男が新しい支配者となり、「世界一の金融王」として台頭した。

●知っている人も多いと思うが、三男(ロスチャイルド2世)には有名なエピソードがある。彼は1815年に自慢の通信網を駆使し、ナポレオンのワーテルローでの敗北をネタにして「ナポレオン勝利」のニセ情報をイギリスにタレ流し、大暴落した株を買いまくった。証券取引所が午後に閉まった時、彼は取引所に上場されている全株の62%を所有していたという。
 そして後に「ナポレオン敗北」という真情報が公になり株が急騰したとき、彼は300万ドルの自己資産を75億ドル、すなわち2500倍に増やしてしまったのであった! ちなみにこの日、イギリスの名門の多くが破産したという。
 この三男の死後、五男のジェームズ(パリ支店)が当主をついでロスチャイルド3世となった。

●ロックフェラー家は石油業がきっかけで成長したが、ロスチャイルド家は銀行業がきっかけであった。ロンドン支店はあくまでも金融中心に発展を遂げていった。それに対してロスチャイルド3世のパリ支店は金融だけではなく、やがて新しい交通手段として登場した鉄道の将来性に着目して鉄道事業に進出(1835年)し、「ヨーロッパの鉄道王」としてそれを支配した。
 また南アフリカのダイヤモンド・金鉱山に投資し、更にはロシアのバクー油田の利権を握って「ロイヤル・ダッチ・シェル」をメジャーに育て上げるなど、情報・交通・エネルギー・貴金属を中心とした実業中心の膨張を遂げていくこととなった。

●1814年に東インド会社のインド貿易独占権が廃止されると、ロスチャイルド家が利権支配するようになった。1862年には、ロスチャイルド家を訪問したナポレオン3世と金融提携をし、1870年にはバチカン融資を開始し、ロスチャイルド家がカトリック教を金融支配するという事態になった。
 1875年にはロスチャイルド資本の融資によってイギリス政府がスエズ運河会社最大の株主となり、ロスチャイルド家はイギリス政府&ヨーロッパ王室との癒着を更に深めていった。

●以上のようにロスチャイルド家の華々しい活動の一端を見てみるだけで、19世紀末にはロスチャイルド家が既に「世界最大の財閥」にのし上がっていたことが分かる。とりわけ、その時期の非鉄金属を中心とする資源の分野への進出ぶりは目覚ましいものがあった。

 1880年には世界三大ニッケル資本の1つである「ル・ニッケル(現イメルタ)」を創設し、1881年には亜鉛・鉛・石炭の発掘会社「ペナローヤ」を創設し、スペインからフランス、イタリア、ギリシア、ユーゴスラビア、北アフリカ、南アフリカまで事業を拡大している。また、1888年にはロスチャイルド資本によって世界最大のダイヤモンド・シンジケートである「デ・ビアス社」を創設し、更には南アフリカ最大の資源開発コングロマリットである「アングロ・アメリカン」=オッペンハイマー財閥と提携した。
 今さら言う事でもないが、つい最近まで南アフリカを騒がしていたアパルトヘイトの真犯人はロスチャイルド家の代理人たちであった。

●20世紀は重化学工業の世紀であり、そこでは非鉄金属や石油を含む地下資源を押さえたものが世界を制するという大戦略が国家規模で発動され、ロスチャイルドのビジネス戦略と密接に連動して動いた時代でもあった。
 20世紀末期を迎えている今、ロスチャイルド財閥はもはや単なる一財閥ではなくなった。現在、パリ分家とロンドン分家を双頭とするロスチャイルド財閥は、金融と情報という21世紀の主要メディアを支配し、また、そのあり余る力をアフリカ大陸をはじめ、全世界の金やダイヤモンドやウランをはじめとする地下資源の確保に注ぎ込む、巨大な先端企業連合体でもある。

●ロスチャイルドはアシュケナジー系ではなく、スファラディ系ユダヤ人であるとの噂があるが、イエス時代のパリサイ派ユダヤ人までの血統図を家宝として自慢しているという噂もある。もし、それらの噂が本当なら由々しき問題である。

 パリサイ派ユダヤ人といえば、イエス登場の時に、イエス派ユダヤ人と真っ向から激しく対立した集団である。パリサイ派のユダヤ商人は当時のソロモン第二神殿をマーケット広場として利用し、のさばっていた。そのため、ソロモン神殿に入城したイエスに激しく罵られたことでも知られている。
 イエスはパリサイ派ユダヤ人に対して「マムシの子らよ」とか「偽善者なるパリサイ人」とか常々語っていた。そして極めつけは以下のような言葉であった。
「あなたたちは悪魔である父から出た者であって、その父の欲望を満たしたいと思っている。悪魔は最初から人殺しである」(「ヨハネ伝」8章)

●ロスチャイルド家の活動を批判的な目だけで受け取ってしまうと、具合が悪くなるので、彼らの言い分を載せるとしたら、次のような言葉が適切であろうか(^_^;)。
「我々は純粋に“ビジネス”を追求しているのであり、“国際ルール”を侵していない。先見性に優れた大胆かつ站密なビジネス戦略の積み重ねが、今日のような確固たる“資本主義的地位”を築いたのである。我々のことを悪く言う人がいるが、我々は現代文明のあらゆる分野に多大な“恩恵”をもたらし、人類全体に計り知れない貢献をし続けているのであることを忘れないでくれたまえ。」

●関係者によると、ロスチャイルドは自分たちが現代文明をリードしてきたという強い自負を持っているとのこと。確かにその通りだと思う。彼らの文化的事業は非常に国際的でアクティブである。映画産業界、ファッション業界は言うに及ばず、各種国際研究所、ノーベル財団などなどという学術面においても、全く輝かしい業績を挙げている。

●それにしても、ビジネスマンが国境を越えて、人類の向上のためにビジネスを追求することは一向にかまわないが、彼らのビジネスが国際政府機関&各国の王室&国際報道機関&国際諜報機関などと密接に結び付いてくると話は違ってくるだろう。ましてや、彼らが“軍需企業”と癒着(利権支配)するとあっては、なおさらである。
 世界中にのさばっている“死の商人(兵器商人)”の多くは、ロスチャイルド財閥と何かしらの関係を持つ者たちであることは事実である。戦争あるところにロスチャイルドの姿ありと言われている。戦争を“ビジネス”として淡々と扱うところに、何かただならぬ怖いものを感じる。どこまで“ビジネス”が“ビジネス”として許されるかが、問題であるように思えるが。

●さて、ハプスブルク時代に金融力によって宮廷ユダヤ人(ホフ・ユーゲン)となり、本来ならユダヤ人が絶対にもらえない「男爵位」を得たロスチャイルドは、ユダヤ金融資本のシンボルとなり、世界に散らばったユダヤ人の力が全てロスチャイルドに糾合されたわけだが、このファミリーは無数に婚姻しており、当然ユダヤ教以外の人物も多数含まれる。また、他の貧しいユダヤ人たちは絶対にこの中には入れない。

 しかし、いずれにせよシェークスピアにも悪く書かれた“ユダヤ商人”たちは、現在、ロスチャイルドのネットワークの中にほとんど全て取り込まれているといっても過言ではない。彼らにとってみれば、国境はないに等しい。まさしく世界をまたにかけた商売をしているのである。
 よってもし現在、“本物の反ユダヤ主義”勢力が台頭してくるとすれば、それはターゲットをロスチャイルドに絞った“反ロスチャイルド”を掲げる集団となろうか。

●1940年当時のロスチャイルド一族は約5000億ドル、アメリカの全資産の2倍、全世界の富の50%を支配していたと推定されている。彼らの富は創業以来230年にわたって確実に増殖している。彼らの勢力範囲は、まずヨーロッパ、ついでアメリカ、アジア、そしてアフリカ、オーストラリアに広がり、戦争と革命、そして経済恐慌、あらゆる動乱のたびごとに膨張して現在に至っているわけだ。

●ロスチャイルド家は近代・現代ビジネス史上、最も成功したファミリーであることは誰も否定しようがないと思う。ほとんど世界中に張り巡らされていると言っても全く過言ではない“ロスチャイルド金権王朝”の実態を知れば知るほど、こちらは尻込みしそうだ。しかし、私は彼らの異常資本蓄積状態 & 異常政略結婚がそんなに長く続かないと思っている。異論があると思うが。
 いずれにせよ、ロスチャイルド家の存在を無視しては、20世紀も21世紀も、そして地球の戦争も平和も語ることができないということだけは確かなようである。




<ユダヤ問題特集 第9章>
イスラエル共和国建国の背後にひそむ
十字軍の亡霊

この第9章は、私がネットニュースに投稿した
「ユダヤ問題特集13」と、ある人が投稿した
「ユダヤ問題特集を読んで思ったこと」への応答
(フォロー記事)をミックス加工したものです

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●『旧約聖書』はキリスト教、イスラム教、ユダヤ教の正典ですが、世界55億のうち10億人以上の人間がイスラム教徒で、ローマ教会の背後には9億人以上の人間がいて、その他のキリスト教会においても何億人もの人々がいます。よって、人類の過半数が『旧約聖書』を聖なる書物として信仰していることになります。ということは、人類の大半にとってイスエラル12支族に関する事柄は、無視できない非常に大きな問題となっているわけです・・・。

●ところで、『旧約聖書』を全然知らない人まで、イスラエル共和国建国は“預言の成就”いう西側のプロパガンダをそのまま信じる傾向にありますが、この人工国家イスラエル共和国は何の根拠も正統性もないハザール国家であることは、もう十分にお分かりいただけたと思います。“預言されていた国”というのは全くのデタラメと言えます。

 何度も繰り返しますが、パレスチナにハザール国家が存在する必然性はどこにもないのです。今となっては信じられないでしょうが、そもそも初期のジオニストたちの間では、新国家をどこに建国するかで、もめていたのです!

●最初にユダヤ国家樹立を提唱した“ジオニストの父”テオドール・ヘルツル。彼はユダヤ教に全く関心を示していませんでした。そのため、必ずしも今日のパレスチナ地方にユダヤ国家をつくらなくてもよいと考えていました。彼はロスチャイルドのバックアップを受けるため、幾度もロスチャイルド家を訪ねましたが冷たくあしらわれ、しょうがなく、パレスチナを400年も支配し続けていたトルコ帝国の皇帝に会おうとしましたが、それも実現しませんでした。そのため彼は失意の中で、アフリカのウガンダ、あるいはマダガスカル島にユダヤ国家をつくろうという「修正提案」をしていたのです。
 また、イギリスのユダヤ人作家イスラエル・ザングウィルは、テキサス州とオクラホマ州の一部の土地を購入して「ユダヤ州」を作ろうという提案をしていました。

●しかし、あくまで“ユダヤ人”であることを名乗るハザール人たちの間では、自分たちのアイデンティティを確保するため、ユダヤ国家(ハザール国家)はパレスチナ地方でなければならないという声が大勢を占めたと言われています。まさに今日におけるパレスチナ問題の元凶がここに見られます。

 なお、ユダヤ長老議会で正式に不採用となったヘルツルの「マダガスカル移住案」は、その後、ポーランド政府が自国内のユダヤ人を移住させるための計画として採用しました。また、1933年まで、ドイツ社会党の重要な綱領の一つとして、同党はパンフレットを作ってその問題を宣伝し続け、1940年には、ヒトラーが400万人のユダヤ人をマダガスカル島に移住させるための具体的な計画を立てていたと言われていますが、戦局が困難に陥ったため、2年後に放棄されてしまったとのことです。

 ちなみに、ロスチャイルド家は最終的にジオニストの活動に全面的な資金援助をしたわけですが、ヘルツルがロスチャイルドを初代イスラエル大統領に推すと、ロスチャイルドは丁寧にそれを辞退していました。

●ところで、一連のユダヤ問題特集の中において、ジオニスト問題に焦点を当ててイスラエル共和国の矛盾を説明してきたわけですが、その背後に潜む“欧米キリスト教勢力”という最重要テーマを省略していたため、私の中東問題全体に関する考察は中途半端な状態にとどまっていました。
 確かに私は改宗ユダヤ教徒(非セム系民族)である「ジオニスト」たちの急進的かつ排他的なシオニズム活動を、パレスチナ問題の元凶として批判しましたが、それが中東問題全体をこじらせ続けている全てだとは思っていません。中東における“欧米キリスト教勢力”の動きを考慮に入れなくては、そもそもイスラエル共和国が強引にパレスチナ地方に建国された最大の意図も、今後の中東情勢の全体像も見えにくくなってしまうことは十分に承知しております。

●パレスチナ地方に昔から執着心を抱き続けているのは、なにもユダヤやアラブだけでなく、キリスト教勢力もいるわけですが、彼らは7回にもわたる十字軍遠征によって、パレスチナ地方からイスラム勢力を駆逐しようという大々的な活動を展開してきた黒い経歴を持っているわけですよね。この中世十字軍活動の中で、私が注目している事の一つとして、キリスト教勢力がパレスチナの地に「エルサレム王国(1099~1187)」という純粋なキリスト教国家を一時的に建国していたという歴史的事実があります。この時、パレスチナにいたユダヤ人たちは、乗り込んできたキリスト教徒によって真っ先に虐殺されています。

 で、結局、キリスト教勢力はイスラム勢力に撃退されてしまったわけですが、20世紀に入るまでのパレスチナ地方には、現在のような血生臭い「アラブ人とユダヤ人の対立」が無かったという歴史的事実も、現在の中東問題全体の根本原因&解決案を探る上での絶対に見過ごせない要素となりましょう。

●十字軍時代以降のパレスチナ地方を20世紀初頭まで400年間支配し続けたオスマン・トルコ帝国を解体したのは、「石油を制するものが世界を制する」ことに目覚めた大英帝国をはじめとする欧米列強であったわけですが、彼らが世界一の石油埋蔵地を確保したいがために、アラブの意向を全く無視した身勝手な中東支配戦略(植民地政策)を開始してしまったことこそが、現在のパレスチナ問題を発生させた最大原因であったと私は見ています。そして、欧米列強は中東戦略をより円滑に進める駒として、ちょうどその頃に台頭してきたジオニスト勢力のシオニズム活動を最大限に“利用”したものと見ています。

 この件について、ユダヤ人イラン・ハルヴィは著書『ユダヤ人の歴史』の中で以下のような興味深い見解を示しています。

「もともと19世紀のヨーロッパには“東方問題”というものがあった。ユダヤ人問題は徐々に東方問題の一部となった。ナポレオン3世の副官であるエルネスト・ラハランは、ヨーロッパにおけるユダヤ人問題を憂慮し、『東方の新しい問題─エジプト及びアラブ帝国=ユダヤ人の再編成』という小冊子を出していた。 (中略)“変革”という高圧的な面を持つ政治的シオニズムと西欧列強は強く結び付いた。既に達成されていた事実と既に進行していたプロセスに基づき、ヨーロッパ各国、特にイギリスは、ユダヤ人を東方に移すことによって、ヨーロッパのユダヤ人問題とヨーロッパにおける東方支配の問題を一挙に解決できると確信したのである。」

●この欧米キリスト教勢力の中東戦略は20世紀半ばに入ると、より露骨なものになります。1948年に国連の承認を得て建国された“イスラエル共和国”という人工国家は、100万人以上のパレスチナ難民を生み、アメリカの全面的なバックアップを受けて中東一の軍事国家となり、周囲のイスラム諸国を挑発し続け、実際に武力介入&領土拡張(不法占拠)を行ないました。

 有名な「モサド」という超一流諜報機関と最新兵器に身を固めたイスラエル精鋭部隊は、常時、イスラム勢力の動向と旧ソ連の南下政策ににらみを利かせることに成功してきたわけですが、歴代のイスラエル政権が白人系ハザール人によって独占され続けていることを含めて、イスラエル共和国というものは建国当初から、欧米勢力が軍事的経済的戦略を中東の地で展開する上での「不沈空母」としての役割を宿命づけられていたことが伺えます。

●しかし、80年代後半あたりから、イスラエル共和国の存在価値は軍事的な面においても経済的な面においても、欧米勢力にとって以前ほど重要ではなくなってしまったと言われています。イスラエル共和国の中東におけるイニシアティブの低下を世界に見せつけたのは、1990年8月2日以降の湾岸危機であり、湾岸戦争だったといえます。なぜならば、この時、イスラエル軍の力を借りずして、アメリカ主導の多国籍軍によって中東をコントロールすることができるようになってしまったためです。

 イラク軍のスカッドミサイルを市街地に打ち込まれながらも、出撃をアメリカに制止され、屈辱に耐え忍んだイスラエル市民の姿はまだ記憶に新しいです。このイスラエル軍不参加の湾岸戦争を境にして、国連はその巨大な中央集権能力をもって世界の表舞台に立つことになったわけですが、冷戦終結や湾岸戦争を境にして欧米の中東戦略そのものが急変してしまったといえるでしょう。

●また、湾岸戦争後に大きな動きを見せたのはカトリックの総本山であるバチカン(ローマ法王庁)です。1993年12月、バチカンは独自の外交権を駆使して、イスラエル共和国との国交を樹立させました! 新聞では「2000年がかりの和解」という見出しが踊っていましたが、両国の国交締結はイスラエル政府が不法占拠し続ける「聖地エルサレム」の帰属問題をユダヤとアラブだけの問題ではなく、全世界的な宗教問題として広げることになったといえます。

 ちなみにバチカンは、1965年の「第二回バチカン公会議」において、「イエス処刑に責任があるのは直接関与したユダヤ人だけだ」との公式声明を出し、ユダヤ勢力に歩み寄りの姿勢を示していました。更にバチカンは、湾岸戦争後に対イスラエル関係に限らず、アラブ諸国との活発な外交活動を開始しており、中東和平という枠組みの中に積極的に入り込んでいこうとの姿勢を明らかにしているわけですが、今後、中東問題におけるバチカンの国際的発言力は急速に高まっていくものと思われます。(参考までに、バチカンは聖地エルサレムは国連によって“国際管理”されるべきだと主張しています)

 バチカンの「明と暗」を含めた実態については、キリスト教史を根本的にひっくり返しかねない「失われたイエス派ユダヤ人集団(エルサレム教団)の謎」という、ほとんど知られていないユダヤ問題を絡めて、他のテーマとともに慎重な考察をしたいと思います。

●戦後の中東地域は、イスラエル共和国の建国によって永続的な政情不安定状態に置かれてきたわけですが、イスラエル共和国をサポートしてきた欧米キリスト教勢力がイスラム勢力に対して、歴史的にどのような態度を見せてきたか、そして今後どのような態度を見せていくのかに注目することなしには、バチカンを含めた欧米勢力が描く“中東和平構想”という代物を総合的に考察することができないと思われます。

 現在、中東地域には険悪なムードが漂い始めておりますが、私が今後の中東情勢を測る上で大きな関心を払っているのは、「アメリカによる露骨なイラン叩きの行方」です。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争や湾岸戦争を見て、現在のアメリカ主導の“国連”の活動を“十字軍活動”になぞらえてしまうのには、多くの無理があるかもしれませんが、近い将来、イランを中心に結成されたイスラム連合が第二次湾岸危機を起こし、国連によって最終的に征伐されるという最悪パターンが私の頭の中にチラつき始めています。

 世界警察を目指すアメリカ主導の国連(United Nations/連合国)の軍事戦略、宗教的主導権の世界的確立を目指すキリスト教勢力(バチカン)のエキュメニカル運動、中東和平そのものをご破算にしかねない強硬派ジオニスト勢力(ネタニヤフ政権)のかたくなな態度、アメリカとの対立を先鋭化しつつあるイラン&イスラム原理主義勢力などなどの諸勢力の思惑を絡めた、私なりの総合的な中東情勢分析・未来予測も、現在製作中のホームページにおいて慎重に展開していきたいと思います。




<ユダヤ問題特集 第10章>
ユダヤ教徒の世紀末メシア待望運動と
失われた10支族探し

●一般にユダヤ教には「カルト」が存在しないと言われているが、敬繪なユダヤ教徒たちが、2000年前から持ち続けている最終悲願は、ソロモン第三神殿建設と失われたイスラエル10支族との再統合、そしてメシア(救世主)到来である。現在、ほとんどのユダヤ教徒は、ハルマゲドン(人類最終戦争)の日、神が全てのユダヤ人を再び一つにまとめると信じている。にわかに信じられないと思うが、ユダヤ教徒たちは「ユダ家」を筆頭とする2支族と「エフライム家」を筆頭とする10支族の再統合を、ずっと待ち続けているのである。

●ユダヤ人たちは2000年間に及ぶ離散生活(ディアスポラ)を余儀なくされ続けたが、第二次世界大戦後の1948年、自分たちの国家、イスラエル共和国が建国されたことによって、自分たちはやっと祝福の時期に入ったのだと認識することとなった。と同時に、近い将来起こるハルマゲドンは、ユダヤ人に対する最後の呪いの時で、そのとき全人類の3分の1、ユダヤ人の4分の3が死滅するということを覚悟しているという。
 つまり、現在のユダヤ教徒たちは、“呪い”と“祝福”の期間が互いに折り重なったまましばらく続き、 ハルマゲドン後のメシア到来によって本格的な祝福の時代(至福千年王国)へと入っていくと考えているのである。

●メシアはイスラエルの理想的な指導者で、そのメシアが来る前には、世界中のユダヤ人が全てイスラエルの地に戻って来なければならないという。メシアが先かソロモン第三神殿建設が先かは分かっていないが、機は既に熟しており、いつメシアが来てもおかしくないという。

●イスラエルにある「神殿研究所」では「ソロモン第三神殿の再建予想図」を、コンピュータ・グラフィックなどを使って細部にわたって仕上げている。それは『旧約聖書』や『タルムード』や聖書考古学などの、正確な情報のインプットから生まれたものであるという。この神殿研究所では他に、来たるべき日に用いられる祭司服や神具などの製作を行ない、本格的な準備を進めているのである。

●『旧約聖書』によると、神殿の頂点に立つ大祭司には、“アロン家”の血筋でないとなることができない、と言及されているため、ちゃんとアロン家の子孫のための「祭司養成所」が設立されている。そこでの生徒数は約150人で、そのうちの15人が純粋なアロン家の子孫であるという。

●『旧約聖書』のメシアについての預言は340ヵ所あるが、キリスト教徒は、その全てがイエス・キリストに当てはまると主張している。しかし、ユダヤ教徒は絶対にそれを認めようとはしない。
 そもそもユダヤ教徒の厳しい戒律生活(タルムード的生活)の中に、イエス・キリストの教えで構成されている『新約聖書』の入り込める余地はない。そのため、イエスがメシアであるということをどうしても認められないようである。

●ユダヤ人はイエスを信じないので、もちろんAD(Anno Domini:キリスト紀元)という年号は使用しない。その代わりに、BCE(Before the Common Era:共通1年以前)およびCE(Common Era:共通1年以後)という年号を用いる。
 このユダヤ暦は西暦に3760年を足したもので、今年(1996年)は5756年になる。

●しかし面白いことに、ユダヤ人は『新約聖書』を完全に無視するが、「ヨハネの黙示録」だけは特別に信仰しているのである。

 その「ヨハネの黙示録」によれば、終末の日、自らをメシアだと名乗って登場する人物は「反キリスト」で、“獣”“滅びの子”“666”とも呼ばれ、世界動乱の時に愛と分かちあいを訴えて登場し、新生ローマ(国連?)の指導者として華々しい平和的活躍をするという。
 しかしある日突然、 反キリストとしての本性をあらわにし、自分こそがメシアであり神であると世界に宣言し、世界統一政府に君臨し、人類を壊滅的な大戦争に巻き込むという。『旧約聖書』の「ダニエル書」では、反キリストが聖なる場所(ソロモン神殿)に入るとき、人類史上かつてない大窿難が訪れ、その期間が短縮されないならば、人類は一人として生き残れなくなると預言しているという(-_-)。

●まあ、こういったオドロオドロしい預言の正否は置いておいて、ユダヤ人たちは、やがて帰って来るイスラエル10支族の姿が、ヤコブやモーゼの祝福を受けた形で出て来るに違いないと注目しているわけだが、彼らはイスラエル10支族のほうが、現在のユダヤ人たちよりも多くの地上的祝福を約束されていることを、よく理解しているという。

●ユダヤ人たちは「律法」に生きるとともに、「預言」にも生きてきたわけだが、失われたイスラエル10支族に対する捜索は、単なるロマンではなく、具体的な作業に入っており、多くの学者たちも一般の人達も興味を持って進めているのは、知る人ぞ知る事実である。彼らは世界の多くの国々に対してスポットライトを当てて、厳密な民族調査をしており、風俗習慣や言語、性格などの細かい点にまで関心を払って、失われたイスラエル10支族の謎を説き明かそうと努力している。

●果たして、ユダヤ人たちが2000年以上も信じ続けてきたソロモン第三神殿建設と失われたイスラエル10支族との再統合、そしてメシア到来は本当に近い将来実現するであろうか? それとも大いなる誤解に基づいた単なる「迷信」に過ぎないのか? それとも、それらの預言を自分たちに都合のいいように「演出(利用)」しようとするグループがいるのだろうか?(どっかの教団のように…)

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