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金光興二

目次

1 経歴
1.1 高校時代
1.2 大学時代
1.3 社会人時代
1.4 引退後
2 関連項目
3 外部リンク

経歴
高校時代

1973年、広島商業の主将・1番・遊撃手として佃正樹(故人)、達川光男、楠原基、川本幸生(故人、元・NHK高校野球解説者、元・広島商業監督)らと春センバツ出場。怪物・江川卓一色となったこの大会、準決勝で江川の作新学院と対決。迫田穆成監督が指示した待球戦術他と終盤、金光らが企てたダブルスチールで、慌てた捕手・小倉偉民が三塁に悪送球して決勝点を奪い江川を倒した。しかし決勝は渡辺元(渡辺元智)監督、エース永川英植らでセンバツ初出場した横浜高校の長打攻勢に敗れ準優勝に終わった。

同年木製バット最後となった夏の甲子園では決勝戦で植松精一らを擁した静岡高校を、9回サヨナラ満塁スリーバントスクイズで降し全国制覇を達成した。この試合の観客58000人は当時の新記録だった。
大学時代

高校卒業後に進学した法政大学でも1年から二塁手のレギュラー。「花の(昭和)49年組」と騒がれ江川、植松、袴田英利、島本啓次郎らと四連覇を含む5回の東京六大学リーグ優勝に貢献。ベストナインにも5度選出され1976年、1977年と明治神宮野球大会を連覇し、大学日本一にもなり法政の黄金時代を築いた。3年から務めた主将在任時には、副将・江川と共に縦関係の厳しすぎた野球部の体質改善にもあたった。リーグ通算95試合出場、345打数108安打、打率.313、4本塁打、41打点。
社会人時代

1977年のドラフト会議でも大型内野手、即戦力と騒がれたが、相思相愛といわれた広島東洋カープには指名されず、近鉄バファローズにドラフト1位指名された。金光はアマ野球選手・指導者志望へ方向転換、近鉄入りを拒否しプロ野球を断念、地元の三菱重工広島に入社した。三菱重工広島では都市対抗野球大会に8度出場、1979年の都市対抗野球では新日鐵光から補強された大町定夫らと共に活躍して優勝を果たす。1989年現役引退。
引退後

その後は社業に就く傍ら母校・広島商業野球部監督に就任。1992年・1994年の2度、春センバツ大会出場に導いた。1995年に退任した後は再び社業に専念した。

2003年、母校・法政大学の要請で同大学野球部監督就任。2005年秋季、2006年春季、2009年春季リーグで優勝。2009年の第58回全日本大学野球選手権大会では法政を14年ぶり8回目(全国最多)の日本一に導いた。

しかし監督就任から2011年秋季リーグまでの9年間で優勝3回、2位1回、3位3回、4位8回、5位3回と、大半の期間において法政はBクラスに甘んじており、優勝戦線に加わることすら珍しく暗黒時代と評されている。ちなみに金光監督就任以前の9年間は優勝7回、2位7回、3位2回とほぼ毎回優勝戦線に絡んでおり、Bクラスになったのは4位が2回あるのみである。

2012年春季リーグにおいて早稲田大学が優勝したことにより、それまで長年法大が保持していたリーグ最多優勝(43回)が、ついに早大に並ばれることになった。金光監督が就任してからの9年半の間、法大はわずか3回しか優勝できなかったのに対し、早大は8回優勝している。 そのような状況の中、2012年秋季リーグでは7季ぶりの優勝を果たし、リーグ最多優勝(44回)を更新した。早稲田に勝ち点を落し勝ち点4での優勝であるものの、最終週の明治戦で三嶋が2試合連続完投勝利を上げ、早慶戦を待たずして優勝が決まった。

2013年4月、辞任を申し出て大学に了承された[1]。2013年開幕する春季リーグでは神長英一助監督が監督代行として指揮を執る。 関係者によると一部の部員から指導に対する不満の声が上がり、人事などを巡ってOB会と意見も対立していたという。
 東京六大学リーグ最多の44度の優勝を誇る、法大の金光興二監督(57)が退任したことが4日、明らかになった。この日、金光監督が大学側に辞意を伝え、了承された。


 金光監督の去就に関しては、3日までに法大野球部員が同監督の退任を求める嘆願書を大学側に提出。金光監督の指導方針に不満を募らせ、退任を希望する選手が大半を占めていた。野球部関係者によると「不満を抱えたまま開幕を迎えることができない」との声が相次いだという。

 今年1月、金光監督は野球部OB会組織「法友野球倶楽部」の意向を聞かずに現場の人事を進めたとして、一部のOBから除名を求められる騒動を起こしていた。2月下旬に同監督とOB会が都内で会談し、佐藤典人野球部長が退任することで、一度は内紛騒動の収拾を図った。同監督は2月の千葉・鴨川キャンプでも選手を指導し、この日もオープン戦でベンチから指揮を執っていた。

 金光監督は広島商の主将として73年夏の甲子園で優勝。法大に進み1年から内野手として活躍した。三菱重工広島入社後も都市対抗に8度出場。現役引退後は母校の広島商の監督を務め、03年に法大野球部監督に就任した。09年に全日本大学野球選手権で優勝に導いたものの、リーグ戦では在任9年半で4回の優勝にとどまっていた。

 大学側は2月の時点では続投の方針を確認していたが、金光監督と野球部員との意思疎通が最後まで図れず、13日の春季リーグ戦開幕を控えて突然の退任となった。春季リーグ戦は元日本通運監督で、現在、法大助監督の神長英一氏(52)が指揮を執る可能性が高い。




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