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中川八洋

人文社会科学研究科 歴史・人類学専攻 近代政治哲学
国家安全保障論I,II
近代政治哲学概論

日本科学協会理事


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東京大学工学部卒、スタンフォード大学政治学科大学院修了
1987年より筑波大学教授。

主要著作
『大東亜戦争と「開戦責任」―近衛文麿と山本五十六』(弓立社, 2000年)
『正統の憲法 バークの哲学』(中央公論新社[中公叢書], 2002年)
『保守主義の哲学―知の巨星たちは何を語ったか』(PHP研究所, 2004年)
『国民の憲法改正―祖先の叡智日本の魂』(ビジネス社, 2004年)
『日本核武装の選択』(徳間書店, 2004年)
『與謝野晶子に学ぶ―幸福になる女性とジェンダーの拒絶』(グラフ社, 2005年)
『皇統断絶―女性天皇は、皇室の終焉』(ビジネス社, 2005年)
『福田和也と“魔の思想”―日本呪詛(ポスト・モダン)のテロル文藝』(清流出版, 2005年)
『女性天皇は皇室廃絶―男系男子天皇を、奉戴せよ』(徳間書店, 2006年)

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現在の中川八洋は・・・
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『保守主義の哲学』より

日本を益する自由擁護の保守主義系の思想家たち

コーク ○ (1552~1634年) 『英国法提要』(1628~41年)*
ヘイル (1609~1676年) 『英国コモン・ローの歴史』(1713年)*
マンドヴィル (1670~1733年) 『蜂の寓話』(1714年)
ヒューム (1711~1776年) 『人間本性論』(1739~40年)
ブラックストーン (1723~1780年) 『イギリス法釈義』(1765~69年)*
A・スミス (1723~1790年) 『道徳感情論』(1759年)
バーク ○ (1729~1797年) 『フランス革命の省察』(1790年)
ハミルトン ○ (1755~1804年) 『ザ・フェデラリスト』(1787~88年)
ファーガソン (1723~1816年) 『道徳と政治学の原理』(1792年)*
J・アダムス (1735~1826年) 『アメリカ諸邦連合憲法の擁護』(1787~88年)*
マディソン (1751~1836年) 『ザ・フェデラリスト』(1787~88年)
トクヴィル (1805~1859年) 『米国のデモクラシー』(1835~40年)
サヴィニー (1779~1861年) 『中世ローマ法史』(1815~31年)*
バジョット (1826~1877年) 『イギリス憲政論』(1867年)
B・ディズレーリ (1804~1881年) 『英国国体の擁護』(1835年)*
ドストエフスキー (1821~1881年) 『カラマーゾフの兄弟』(1879~80年)
メイン (1822~1888年) 『古代の法と慣習』(1883年)
ブルクハルト (1818~1897年) 『世界史的考察』(1905年)
アクトン (1834~1902年) 『自由の歴史』(1907年)*
ル=ボン (1841~1931年) 『群集心理』(1895年)
I・バビット (1865~1933年) 『ルソーと空想主義』(1919年)*
ホイジンガ (1872~1945年) 『ホモ・ルーデンス』(1938年)
ベルジャーエフ (1874~1948年) 『歴史の意味』(1923年)
オルテガ (1883~1955年) 『大衆の反逆』(1930年)
チャーチル (1874~1965年) 『第二次大戦回顧録』(1948~53年)
ドーソン (1889~1970年) 『宗教と近代国家』(1935年)
アーレント (1906~1975年) 『全体主義の起源』(1951年)
オークショット (1901~1990年) 『政治における合理主義』(1962年)
ハイエク ○ (1899~1992年) 『法、立法、自由』(1973~79年)
ポパー (1902~1994年) 『開かれた社会とその敵』(1945年)
サッチャー (1925年~) 『回顧録』(1993年)

備考 順序は没年基準。*印は未邦訳出版。○印はベスト・フォー。

日本を害する人間憎悪・伝統否定・自由破壊の思想家たち

デカルト ● (1596~1650年) 『方法序説』(1637年)
ホッブス (1588~1679年) 『リヴァイアサン』(1651年)
ルソー ● (1712~1778年) 『社会契約論』(1762年)、『エミール』(1762年)
コンドルセ (1743~1794年) 『人間精神進歩史』(1795年)
ペイン (1737~1809年) 『人間の権利』(1791年)
サン=シモン (1760~1825年) 『産業者の教理問答』(1823~24年)
ヘーゲル ● (1770~1831年) 『法の哲学』(1821年)、『歴史哲学』(1840年)
ベンサム (1748~1832年) 『憲法典』(1830年)
シェイエス (1748~1836年) 『第三階級とは何か』(1789年)
フーリエ (1772~1837年) 『四つの運動と一般的運命の理論』(1808年)
コント (1798~1857年) 『社会再組織に必要な科学的作業のプラン』(1822年)
プルードン (1809~1865年) 『貧困の哲学』(1846年)
フォイエルバッハ (1804~1872年) 『キリスト教の本質』(1841年)
J・S・ミル (1806~1873年) 『自由論』(1859年)、『功利主義』(1863年)
バクーニン (1814~1876年) 『国家性とアナーキー』(1873年)
マルクス ● (1818~1883年) 『共産党宣言』(1848年)、『資本論』(1867年)
エンゲルス (1820~1895年) 『家族・私有財産・国家の起源』(1884年)
ニーチェ (1844~1900年) 『善悪の彼岸』(1886年)、『権力への意思』(1901年)
クロポトキン (1842~1921年) 『近代科学とアナーキズム』(1912年)
レーニン ● (1870~1924年) 『国家と革命』(1917年)、『帝国主義論』(1916年)
フロイト ● (1856~1939年) 『自我とエス』(1923年)
ケインズ (1883~1946年) 『雇用・利子および貨幣の一般理論』(1936年)
マンハイム (1893~1947年) 『自由・権力・民主的計画』(1951年)
デューイ (1859~1952年) 『学校と社会』(1915年)、『哲学の改造』(1920年)
ケルゼン (1881~1973年) 『デモクラシーの本質と価値』(1920年)
ハイデガー (1889~1976年) 『存在と時間』(1927年)
マルクーゼ (1898~1979年) 『エロスと文明』(1955年)、『一次的人間』(1964年)
サルトル (1905~1980年) 『共産主義と平和』(1952~54年)
フーコー (1926~1984年) 『狂気の歴史』(1961年)、『性の歴史』(1976~84年)
C・シュミット (1888~1985年) 『憲法論』(1928年)
ハーバーマス (1929年~) 『コミュニケーション的行為の理論』(1982年)

備考 順序は没年基準。●印はワースト・シックス

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・ところで、浅田彰の『構造と力』も『逃走論』も、ドゥルーズについての「学術的な説明」の箇所は、翻訳であり、その要約である。浅田には、学者の立場からの「ドゥルーズに関する分析」というものは、何一つもない。つまり、「教祖ドゥルーズの忠実な伝道師」という姿が、浅田の実体である。浅田は、独自の思想を構築していくだけのIQをもちあわせていない。

カルト宗教的な教祖と信者の関係に似た、「師ドゥルーズに忠実な、日本の弟子たち」という特性は、他のドゥルーズ研究者にも共通している。市倉宏祐、宇野邦一、篠原資明らである。市倉は『現代フランス思想への誘い』などでドゥルーズ/ガタリの言説をやたらと長々と「概説」している。そこで、市倉のをケースとしてとりあげ、浅田と同じく、「分析もできない」「考察もできない」、日本の「ドゥルーズ伝道師たち」の知識水準とその生態を明らかにしておこう。

なお、特攻隊くずれのマルキスト市倉宏祐は、「福田和也の恩師」である。
そして大著『アンチ・オイディプス』を翻訳した。福田和也は、翻訳業者以上には決してなれない、学者としての素養ゼロの、この市倉を心から尊敬している。

・浅田彰の『逃走論』には、独創性がゼロである。それは、このようなドゥルーズの言説をそのまま「盗作」して、軽快かつ簡潔に表現し直したものだからである。しかし、この浅田流「盗作」術だけは、一流だから、惜しみなく賛辞をおくれる。

・フーコーの1982年の論文「同性愛の問題化の歴史」も「ゲイ」を乱発する。
しかも内容は浅田のものと酷似している。浅田は、フーコーのこの論文からアイデアを「盗用」したのだろう。

・浅田には、ドゥルーズらのポスト・モダン思想の紹介者である以上の学問業績が何一つない。その後の浅田は、同じ「ポスト・モダン教の宗教信者」磯崎新や福田和也らと酒をくみかわしての雑談しかしていない。『批評空間』における柄谷行人との「交流」も、革命煽動の効果をもつことは認められても、学問としてはいかほどのものもない。この季刊誌は、汚泥の中で蠢く”赤い蛆虫”たちの雑談集にとどまっている。

そして何よりも、乾いた砂漠の砂のような浅田彰のニヒルな杜撰と無気力は、そのデビュー作『構造と力』という著作が顕著に漂わせている。モダン(近代)が「クラインの壺」「積分」、ポスト・モダンが「リゾーム」「微分」、などと浅田が画いたそのダイヤグラムほど、数学の知識ゼロの浅田らしく、自分の精神の空洞と腐爛をハッタリで誤魔化す、人格的破綻を示すものはない。

・「宮台は過激な左翼だが、和也はもっと超過激な極左である」。
これが、唯一正しい冷静な観察であろう。

・浅田彰とフーコーは、ゲイ同士でポスト・モダン革命の同志である。
「浅田彰氏がエイズで死没した」という訃報を、いつまでも聞くことのないよう皆で祈ってあげよう。

・『狂気の歴史』を日本では大変な学術書のように言うが、その内容は
「俺(フーコー)は狂人だから、正常人よ、俺(フーコー)にぬけづけ」という、支配欲で汚れた雄叫びの扇動文書以上のものではない。狂人であるが故に新しい理想社会を作れる「聖なる予言者」だ、と自らを妄想して、その延長上で、狂人に社会の支配をゆだねるべきだとの、フーコーの訴えが、『狂気の歴史』の本旨である。また、「真実の人間」についても「人間の真理」についても、俺(フーコー)のような狂人にしかわからない、正常人は狂人の助けなしに真理を手にすることはできないと言いたくて、フーコーはこの『狂気の歴史』を書いた。

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『皇統断絶』より

「現在の皇室典範は本質的には占領軍が強制によってつくったものですから、
そうした歴史的前提をまったく意識してつくらなかった」(1)。

現・皇室典範は、旧・皇室典範の骨の部分だけになったが、明治皇室典範の精神は
かろうじて堅持されている。そこには、井上毅の叡智はまだ、それなりに匂っている。
だから、旧・典範の「男系男子」(第一条)と「養子の禁止」(第四二条)と「女性宮家の禁止」
(第四四条)の規定が、そのまま引き継がれたのである。
つまり、先の引用文が、限度をこえた嘘偽りであるのは言うまでもない。
ところが、この出鱈目を書いたのは、京都大学教授の中西輝政である。

中西は、京大法学部で目立つほどの劣等生であり、全共闘のゲバ学生であった。
学問業績は劣悪というより皆無に近い。中西輝政は自ら「転向はしていません」と
明言している通り、かつてのマルクス・レーニン主義の暴力革命屋(中核派?)としての
信条を今日もまだ秘めている。だから、現在の皇室典範について、それを破壊させるべく
「GHQがつくった」という嘘偽りを宣伝するのである。

・中西輝政の言説は、鵺(ぬえ)とカメレオンの交配でうまれた”奇妙なカメレオン”に似て、くるくると色が
変わる。一例を紹介しよう。中西は、『諸君!』誌で2003年、「日本国核武装への決断」と題して、日本は
核武装すべきだと16頁の大論文を発表した(2)。専門知識が欠如しているのでその内容はお粗末だが、
中西はほんの十年前までは(土井たか子のグループの一員であって)核武装に反対していた。

・学問の能力を欠き口舌にのみ生きる売文業者の中西輝政は、旧と現の皇室典範も読んだこともない。
またその制定過程の法制史についての知見もない。一般教養は無知に近い。
八代十名の女性天皇が「男系の血筋が途絶えないようにという目的で即位された」(1)などと、
初歩的な歴史事実に関する知見を欠くほど、その歴史知識は中学生以下である。しかし中西は、
現在の皇室典範をダイナマイトで粉砕して、天皇制廃止を実現しようとする策謀には長けている。

・中西輝政は、実は、バークの著作を一頁も読んだことがない。しかし、平然と「いつも議論しています」と
真赤な嘘をつく。学者にあるまじき、その人格には重大な問題がある。


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・家庭論
「少子化で日本は滅びる。男は二号、三号に子供を産ませたら良い。」
すこし前までは妾を持つことはおかしいことでも何でもなく、法とは別のレベルで認知されてた。

「相続税などはやめて、昔のような家父長制の家族制度を再建すべきだ。」
中韓がそれっぽいけど日本ならもっとおだやかな形でできるだろう。

「男女は平等ではない。夫婦別姓も共産党が主導しているから家庭崩壊する。」
もちろん平等でない。感情のレベルで嫌悪感・不快感があるなら互いにそれを指摘しあえる社会は望ましい。
夫婦別姓はたんなるナンセンス。無意味。

「社民党の福島瑞穂議員は共産党から派遣されている。」
おなじアカだから。

・教育論
「1パーセントの子供に英才教育をすればよい。わからない子供はほっておけばよい。」
学力の個人差など当然。万人白紙説のコメニウスはもっと批判されるべき。

「学力は暗記力、考えることは必要ない。」
大学受験を終えるまでは。

・福祉論
「福祉に国の予算は使うな。自分の力で保険をかければよい。」
日本は余計なとこにカネつかいすぎ。

・社会論
「米国の銃社会はすばらしい。」
世田谷一家殺害や20年近くも監禁されていた少女のような事件をまたお望みでしょうか?
銃があればそこまで到らなかったのでは?
銃でなくともそもそも我々には「切捨て御免」があったのでは?

・戦争論
「長崎アピール(平和宣言)はキチガイ。長崎市長はうそつき。」
広島のほうがクローズアップされがちだから。

「日本は戦争をしないからダメだ。戦争をしない国は退廃する。」
経済において戦争はしているけども、自衛隊は実戦経験がまるでない。
あれでは消防隊員とどう異なるのか。

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・家庭論
「少子化で日本は滅びる。男は二号、三号に子供を産ませたら良い。」
→ 日本の少子化は深刻すぎる
「相続税などはやめて、昔のような家父長制の家族制度を再建すべきだ。」
→ 相続税をやっているのは世界でスウェーデンと日本ぐらい・アメリカでは相続税はザル法で実際は2%くらいしか払っていない・国家が家系の紐帯を弱くするのは認められない
「男女は平等ではない。夫婦別姓も共産党が主導しているから家庭崩壊する。」
→共産党主導は事実・スウェーデンは家庭崩壊した結果、犯罪率が半端じゃない
「社民党の福島瑞穂議員は共産党から派遣されている。」
→福島本人に直接確認したそうだ
・教育論
「学力は暗記力、考えることは必要ない。」
→学問で一番大事なのは知識力・知識量が多ければ多いほどそれが互いに符合してひらめきとなる・数学なんて暗記(だからつまらない)
・福祉論
「福祉に国の予算は使うな。自分の力で保険をかければよい。」
→国家による社会主義は自由侵害に繋がる
・社会論
「米国の銃社会はすばらしい。」
→自由の代償としての対価
・戦争論
「長崎アピール(平和宣言)はキチガイ。長崎市長はうそつき。」
→共産主義者だから。ソ連(当時)や中国(今)とつながっているから。
「日本は戦争をしないからダメだ。戦争をしない国は退廃する。」
→まあ歴史を鑑みるとそうですね。戦争放棄した国は退廃しています。

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正統の哲学 異端の思想―「人権」「平等」「民主」の禍毒 p172-3

極度な貧困層の事実上の放置、及び銃の保持が、米国の社会をして“真性の自由主義”に立脚せしめている。前者は市場原理の自由競争のルールを堅持している結果であり、後者は(フランス革命の「全体主義国家への武力反抗」とは逆で)、“全体主義の国家権力に対する武力反抗”という自由の原理のあらわれである。自由の原理を守るために、治安・衛生状態の悪いスラムとの共存、あるいはみずからも銃器の犯罪で死亡するかもしれない確率(不運)との共存、を我慢しているのが米国である。米国には全体主義の天敵となる封建遺制がないが、その代替策として、この二つとの「共存」という勇気ある選択をしているのである。

米国の憲法修正第二条はこの武器保有を権利と定めている。「規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保護しまた携帯する権利は、これを侵してはならない」(1791年確定)。

このように、米国においては民衆の経済的「平等」が抑制されているが故に、全体主義に移行する恐れは除去されている。がしかし、民衆が支配するデモクラシー社会の常として衆愚化の方は米国においても抑制の箍(たが)がはずれて顕著である。民衆は人格的・精神的向上や倫理性に関して何ら関心はなく、むしろ要求などはしない。むしろ、倫理や精神的高貴さをもって窮屈な束縛と考えてこれからの逃避や否定をする。・・・

デモクラシーの政治社会は、倫理も精神的高貴さも宗教的敬虔さもすべて消え、卑しさと下劣さのみが支配するに至る。このことはむろん、米国に限らない。「保守主義」層をもたない日本の社会の方が、この米国以上に過激にそして過剰に倫理(道徳)や高貴さが破壊されているように、すべてのデモクラシー国に生じる普遍的かつ不可避の特性である。
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2007/01/09(火) 10:18:56 | ほそかわ・かずひこの BLOG
『人民日報』傘下の『環球時報』の12月1日付の記事をば。以前「防衛省昇格に対する中共の反応」で紹介した記事の対になっていた記事です。 防衛省昇格の記事とこのゲーツの記事が、12月1日の第一面に大きく見出しとして掲載され、今回紹介するゲーツの記事がその1面を飾っ
2006/12/12(火) 21:05:37 | 中南海ノ黄昏

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